WP A 研究ペーパー「労働市場の中立清算」の先行研究の第一モジュール。中央清算機関(CCP)という「あいだに立つ仕組み」が何を解いてきたかを確かめ、中立的な人材マッチングがそこから何を取り入れ、どこで線を引くかを定める。
副業や転職に踏み出せない理由は、能力でも意欲でもないことが、連載でたどってきた事実から見えている※。働く人と企業のあいだには、条件を確定し、力を値づけし、信頼を裏書きする担い手が要る。だが「あいだに立つ」役回りは、これまで何度も当事者へと滑り落ちてきた。派遣は雇用主と仲介者の二重性を一身に抱え、紹介は成立に報酬が向き、場の運営は手数料に引かれた。あいだに立った者が自らの利益のために情報と条件を握る ── これが胴元化である。
すると問いはこうなる。あいだに立ちながら、当事者にならず、胴元にもならない仕組みは、設計できるのか。それは思いつきではなく、すでにどこかで動いている制度なのか。
答えになりうる先行例が、ひとつだけある。金融市場の中央清算機関(CCP)である。本モジュールは、この CCP という「あいだに立つ仕組み」が何を解いてきたかを確かめ、中立的な人材マッチングがそこから何を取り入れられ、どこで線を引くべきかを示す。
二者が取引するとき、相手が約束を守るかどうかは、相手次第である。この不確かさを、あいだに立つ第三者が引き受ける形には、段階がある。
もっとも軽い形は、保管(エスクロー)である。第三者が代金や成果物を一時的に預かり、双方が条件を満たしたときに渡す。第三者は取引そのものには立ち入らず、約束の履行を中立に見届けるだけである。ここでの第三者は、どちらの当事者でもない。
これが一段進むと、置き換え(novation)になる。中央清算機関は、買い手に対しては売り手となり、売り手に対しては買い手となる ── 元の二者のあいだに自らを差し込み、契約上の相手方そのものを置き換える1。こうなると第三者は、もはや見届ける者ではなく、双方にとっての取引相手である。一方が破綻しても、もう一方から見れば相手は中央清算機関であり、約束は守られる。
中央清算機関の機能は、この保管的な中立性から当事者の置き換えへと深化してきたものとして理解できる。重要なのは、両者が「中立に、あいだに立つ」という同じ性格を共有しつつ、当事者性の度合いが異なる点である。
中央清算が「あいだに立つ仕組み」の標準になったのは、市場が一度それを失った痛みを経たからである。
2008年までの店頭(相対)デリバティブ取引は、当事者どうしが個別に向き合う形で積み上がっていた。誰が誰に対してどれだけの債務を負っているのかは外から見えず、一社の破綻が、見えない連鎖を通じて市場全体を凍りつかせうる状態にあった。実際に大手金融機関の破綻と保険会社の危機がこの不透明さを露わにしたとき、各国は同じ方向へ動いた。2009年、主要国は標準化された店頭デリバティブを中央清算機関を通して清算することへ合意し2、各法域がこれを制度として実装した3。日本も金融商品取引法のもとで中央清算を制度化している4。
ここで起きたのは、相対の不透明さから、あいだに立つ中立機関の透明さへの移行である。中央清算機関が信頼されたのは、それが取引の前に条件と担保を確定し、誰に対しても同じ規律を等しく課す制度だったからである5。つまり中央清算は、市場を効率化する道具としてではなく、当事者が互いを見通せないときに信頼を成立させる制度として広がった。この点が、労働市場の現状 ── 仲介に立つ者が両側の情報を握り、働く人には自分の値づけさえ見えない状態 ── と響き合う。
中央清算機関は、取引を取り次いで手数料を得る業者ではない。オンライン労働市場を分析した先行研究は、場の運営者が果たしうる役割を、単なる情報の取次ぎから、度量衡を定め・紛争を裁き・明確なルールを敷く準公共的な制度まで、連続体として描いた6。中央清算機関は、その連続体の制度側の極にある。値を取り次ぐのではなく、参加の条件・担保・規律を定め、誰に対しても等しく適用する。
この区別が、中立的な人材マッチングの輪郭を決める。それが目指すのは、案件ごとに人を取り次いで成立報酬を得る人材紹介会社ではなく、条件の確定・透明化・事前のリスクの可視化を、参加者全員に同じ規律で提供する制度である。人材紹介会社が悪いという話ではない。ただ、報酬の向きが取引の成立や取引額へ向くと、あいだに立つ者は再び当事者の利害に引かれる。制度として立つとは、その向きを機能そのもの ── 条件を確定し透明にすること ── へ固定することにほかならない。
ここまでで、中央清算という「あいだに立つ仕組み」が、保管的な中立性から当事者の置き換えへと深化し、相対の不透明さを制度の透明さへ変えてきたことを見た。中立的な人材マッチングが取り入れるのは、この系譜の前半 ── あいだに等距離で立ち、取引の前に条件とリスクを見える形にする、保管的な中立仲介の構え ── である。
取り入れないのは後半、すなわち置き換え(novation)である。中立的な人材マッチングは、自ら雇用主や発注者になって当事者を置き換えることをしない。情報を対称にし、条件を確定し、リスクを可視化することにとどまり、雇用関係そのものには入らない。
この線引きには、日本では制度上の必然がある。あいだに立つ者が労働者を自らの管理下に置いて他者へ供給することは、労働者供給として原則禁止されており7、労働者派遣はこの禁止に対する例外として、派遣元が雇用主になることを条件に認められた制度である8。すなわち日本において novation の側へ踏み込むことは、ただちに供給・派遣の規律の領域に入ることを意味する。中立的な人材マッチングが novation の手前で止まるのは、思想であると同時に、制度設計上の境界線である。
novation の側へ踏み込んだ独立労働の制度は、すでに海外にある。フランスの給与ポータージュ(portage salarial)は、独立した専門職が仲介体と雇用契約を結び、その仲介体が雇用主として社会保険と賃金支払を引き受けながら、当人を顧客企業へ役務提供させる仕組みである9。あいだに立つ仲介体が雇用主になる ── これは置き換え(novation)そのものであり、構図としては日本の労働者派遣と同じ側に立つ。
この形は、独立労働者に雇用主の保護と社会保険への接続を与える点で意義を持つ。だが同時に、あいだに立つ者が当事者になることで、連載が派遣について解剖した二重性 ── 雇用主としての責任と、仲介者としての利益が一つの主体に同居する状態 ── を引き受けることにもなる。どちらの含意をどう評価するかは、読者に委ねる。
中立的な人材マッチングは、この線の手前に立つ。仲介体が雇用主になるのではなく、雇用関係の外側から条件と情報とリスクを透明にする。ポータージュが novation の側で何を得て何を抱えるかを見ることは、中立的な人材マッチングがなぜ手前で止まるのかを、対照によって明らかにする。
中立的な人材マッチングが当事者にならない以上、なぜ参加者はその中立を信頼するのか、という問いは残る。本モジュールはこの問いを開いたままにする。中立性の担保は、報酬の向きを取引の成立から切り離す設計と、参加者に等しく適用される規律によって組み立てられるが、その具体はガバナンスの設計(WP A 本体 §4)に属する。
本モジュールの役割は、中立的な人材マッチングを「あいだに立つ仕組み」の系譜 ── 保管から置き換えへ、相対から制度へ ── のなかに置き、それがエスクロー的な中立仲介を取り入れ、novation の手前で止まる制度であることを示すことにあった。この位置の上に、続くモジュールが具体を重ねる。あいだに立つ者がどのように配分を成り立たせるか(M-2 市場設計)、力をどう値づけし信頼をどう裏書きするか(M-3 評判)、専門家をどう組成するか(M-4 チーム組成)。そして中立をどう支え、何を堀とするかは WP A 本体 §4 で論じる。
全主張に一次資料・学術/公的出典を付す。確=一次・公式/中=報道・業界調査。※=連載「手放さずに、増やす」第1-9回参照(問題・胴元の論述)。