連載「手放さずに、増やす ── 人生100年時代、大企業人材の選択肢」。第1回は、なぜ最も力のある人ほど最も動けないのか、を一次データと労働経済学からたどる。問題を確かめる回。解決策はまだ出さない。
大きな銀行に入って、二十年、三十年が過ぎた。与信を見てきた。支店を回した。難しい交渉をいくつもまとめてきた。社内の信用があり、長く勤めたからこその安定がある。立ち位置は、確かにある。
その立ち位置から、ふと先を見ると、輪郭のはっきりしない不安がある。自分のこの力は、この会社の外でいくらの値が付くのか。一度も測ったことがない。測る機会もないまま、五十歳が近づいてくる。
そして多くの人が、五十歳前後で同じ岐路に立つ。役職定年を区切りに、給与の下がる関連会社へ移るか、ポストを失っても本体に残るか。たいていはこれを、動かせない二択として受け取る。すでにその岐路を過ぎ、子会社の机に着いている人もいる。
本稿がたどり着きたいのは一つの問いだ。なぜ、最も力のある人ほど、最も動けないのか。最初の素材として、その構造が最も古くから、最も典型的に動いてきた場所、メガバンクを取り上げる。
日本の三メガバンク——三菱UFJ・三井住友・みずほ——には、五十五歳前後を境に、本体に残る行員の給与を一律に引き下げ、残らない行員をグループ子会社や取引先へ出向・転籍させる仕組みが、長く根づいてきた。
組織の規模そのものが、この流れの大きさを映している。三菱UFJ銀行は、単体で約3万1千人だが、連結ではおよそ15万6千人を抱える1。差の大半はグループ会社で、本体から外へ向かう人の流れが、この落差として現れる。役員に上がらなければ、多くが五十代前半に本体を離れる。三井住友銀行には「五十二歳一律出向」と呼ばれた慣行があり、2023年ごろに廃止された2。廃止が報じられること自体、それが長く常態だったことの証だ。
外へ移るとき、給与は大きく落ちる。ただし、ここは誠実に書いておきたい。「転籍そのもので何%下がるか」を直接追った公的統計は、見つからない。確かめられるのは、その周辺にある数字だ。定年後に再雇用された人の年収は、定年前から平均で44%下がる3。役職定年を経験した人の約四割が、年収が半分以下になったと答えている4。大企業と中小企業のあいだには、もともと17〜23%の賃金格差がある5。転籍とは、役職を外れ、賃金水準の低いグループ会社へ移ることだから、これらが積み重なって三割から五割の減少に達しうる——そういう像が浮かぶ。
給与の落差以上に重いのが、意欲の崩れ方だ。役職定年・ポストオフを経験した管理職766人への調査では、82.8%が賃金の減少を経験し、約四割がその後も持続的なモチベーションの低下を報告している6。まだ十分に働ける五十代前半に、最大の意欲減退が起きている。
そして、形式と実態のずれがある。転籍には法的には本人の個別同意が要る。就業規則に転籍命令の規定があっても、本人が同意しなければ無効、というのが確立した解釈だ7。だが銀行の実務では、拒否は事実上難しいという証言が、元行員の記録や転職エージェントの記述に繰り返し現れる。形式的なサインが、自由意思の不在を覆い隠す。
外を見るための窓も、長く閉じられてきた。窓が開き始めたのはごく最近だ。三井住友銀行は2024年十月、約3万人の全従業員に社外副業を解禁した——ただし月20時間まで、事前申請制という制約つきで8。みずほは2019年に導入し、2023年度の活用者は777人。3万人規模に対して数百人という薄さが、窓がまだどれだけ狭いかを物語っている。
事実を並べ替えると、一つの構造が浮かぶ。給与が半分になること自体が核ではない。核は、自分の市場価値を確かめる機会が、最も価値が高いはずの時期に奪われていることだ。そして、これは労働経済学が古くから説明してきた構造でもある。
人の力には、二つの種類がある。どの会社でも通用する一般的なスキルと、その会社の中でだけ生産性を高める企業特殊的なスキルだ。ゲーリー・ベッカーが半世紀以上前に整理したこの区別が、囚われの土台になっている9。長く一社に勤めるほど、人は後者——その会社固有の仕事の進め方、社内の人脈、暗黙のルール——に深く投資する。それは社内では高く報われるが、外へ持ち出した瞬間に目減りする。転職をためらうのは、気弱だからではない。積み上げた特殊資本を失う計算が、正しく働いているからだ。
なぜ五十代でちょうど給与が高く、そして引き下げられるのか。これにもエドワード・レイザーの明快な説明がある10。年功賃金とは、若いうちは生み出す価値より低く払い、年をとってから価値より高く払う、後払いの約束だ。この傾きが、長く真面目に働く動機を生む。だが賃金がいつまでも生産性を上回り続けるわけにはいかないから、どこかで契約を締めくくる仕組み——定年や役職定年——が構造的に必要になる。五十代の高い給与は、過去の働きに対する「貸しの回収」局面にある。ここで外に出れば、回収しそこねる。だから動かないことが、合理的になる。
ただし、日本の年功賃金には、もう一つの起源がある。生活給だ。家族を持ち、子の教育費がかさむ年代に、生活費の増加に合わせて賃金を上げる——戦後の電力産業で結ばれた電産型賃金体系は、年齢と扶養家族の数で基本給を決めていた17。賃金を生産性ではなく「生計費」に結びつけるこの発想は、高度成長期の日本に深く根づいた。問題は、その前提が薄れた今も、年功で積み上がる賃金カーブだけが残っていることだ。後半の賃金の上昇は、もともと生産性とのリンクが弱い。だからこそ、生産性との乖離が見えやすくなったとき、それはしばしば「役職定年」という一律の引き下げとして処理される。
外に出る道が実際に細いことも、データが裏づけている。マイケル・ボグナーノと神林龍が雇用動向調査の個票で示したのは、高齢であるほど、そして大企業に勤めていたほど、転職にともなう賃金の損失が大きいという事実だった11。これはベッカーの理論が予測するとおりだ。特殊資本を多く積んだ人ほど、それを捨てる代償が大きい。45〜54歳男性の転職実現率は約2%にとどまる12。
辞めること自体にも値札が付いている。勤続十年での退職金は、自己都合だと約183万円、会社都合だと約306万円——自分の意思で辞めると、六割の水準に落ちる13。動かない方が得をするように、隅々まで設計されている。
これが「囚われ」の正体だ。鎖でつながれているのではない。最高値期に値札を見せられず、外に出れば損をする設計に囲まれて、本人にとって動かないことが最も理にかなう。その均衡の中に、優秀な人ほど深く収まっていく。
ここで立ち止まって、反対側から見ておきたい。研究として誠実であるために、自分のテーゼに最も効く反論を、自分で持ち出す。
役職定年も、給与半減も、誰かが優秀層を閉じ込めようとして設計した檻ではない。レイザー自身の理論が示すとおり、それは後払い契約を最後まで成り立たせるための、効率的な仕組みだ。ロバート・ギボンズとマイケル・ウォルドマンが企業内の昇進と賃金のモデルで示したように、高い職位の人の処遇を一律のルールで調整する装置には、それなりの合理性がある14。雇う側も、雇われる側も、それぞれの場面で合理的に振る舞ってきた。その結果として、この均衡が生まれている。
合理的な一人ひとりの選択の総和が、誰一人として抜けられない罠を作っている。誰も間違っていないのに、誰も動けない。これは告発すべき悪ではなく、外から動かす工夫がなければ自力では解けない、均衡の問題だ。
ただし、ここに日本固有の事情を一つ重ねておく必要がある。ベッカーもレイザーも、均衡が長く安定していることを前提にした理論だ。だが日本では、その均衡を支えるルールそのものが、短い期間で大きく書き換えられてきた。終身雇用を前提に、総合職として社内をひと通り回り、いつのまにか「この会社の仕事」には精通したけれど、外で名乗れる専門性は意識しないまま来た——そういう人が大量にいる。その人たちに向かって、ある日、これからはジョブ型だ、職務と専門性で評価する、と告げられる。
ルールが変わること自体は、避けられないのだろう。だが、その変更の代償を負うのは、ルールを決めた側ではなく、古いルールに合わせて誠実に勤めてきた労働者の側だ。前のルールで真面目に積み上げたものが、新しいルールでは値踏みされ直す。これは、なかなか理不尽な話だと思う。
それでも、と書いておきたい。理不尽だからといって、そこで終わる必要はない。古いルールで積んだものの中にも、外で通用する核は必ずある。それを見つけられるかどうか——その手がかりを、本連載は後の回で一つずつ探していく。
そしてもう一つ、不都合な事実を正直に置いておく。この均衡は、いま揺れている。
三メガバンクは、2024年から2027年にかけて、相次いで「五十五歳の崖」を解体しつつある。みずほが先行し、三井住友が年功序列の廃止を打ち出し、三菱UFJは2025年十月、定年を六十五歳へ延ばし五十五歳での一律給与引き下げを廃止すると公表した15。背景には、日銀の利上げ後の人手不足と、過去最高益という業績の追い風がある。
これは、囚われが解け始めている兆しだ。ただし、制度の文言が変わることと、現場が変わることのあいだには、時差がある。さきほど触れた、特定の分野で抜きん出た人が、いまも望まない形で子会社へ移っていく現実は、その時差を物語っている。報道の見出しと、一人ひとりの実感は、まだ揃っていない。だからこそ、解放と単純に呼ぶには早い。「年齢で一律に下げる」のをやめて「能力で評価する」への転換は、同時に、守られていた人にとっては実力で問い返される場への切り替えでもある。そして入口の壁は、まだ残っている。中途採用の求人を観察した研究では、四分の一が明示的に年齢の上限を設けていた16。出口で動ける人は増えても、入口で測られ方が変わっただけ、という面がある。囚われは消えるのではなく、性質を変えている。だからこそ、自分の市場価値を自分で測れること——それが、これまで以上に効いてくる。
そして、ここまで見てきたのはメガバンクだけだ。同じ形は、業種を越えて広がっている。国家公務員は六十歳で管理職を退き、その後の俸給は当分の間七割に抑えられる。自衛官は階級ごとに五十代半ばで定年を迎え、年に約7,600人が市場へ出ていくのに、国費で育てた専門技能の多くが引き継がれない。総合商社やメーカーの優秀層にも、役職定年から関連会社への出向で力が埋もれていく同じ流れがある。共通しているのは一点に尽きる。雇用主が、人の配置と賃金の情報の両方を同時に握る当事者になっていることだ。
次回は、この「動けなさ」そのものを正面から掘る。なぜ日本の中高年は、これほど労働市場が動かないのか。そして、自分のスキルが外でいくらなのかを、なぜ本人自身が知らないのか——膠着の機序を見ていく。
全主張に一次資料・学術/業界調査を付す。確=一次・公式統計/中=報道・業界調査。