Mini-Research 04 | 研究ミニリサーチ 第4回

派遣という仕組み ── マージンの内側で、何が起きているのか

連載「手放さずに、増やす ── 人生100年時代、大企業人材の選択肢」。第4回から、連載は地図の下半分——胴元の解剖——に入る。最初に分け入るのは、労働者派遣だ。マージン36%の高さそのものより、その内側で何が見えなくなっているのか、そして海外が払っているコストを日本だけが課してこなかったのはなぜか。率の絶対値で糾弾せず、構造を開ける。

1地図の終端から、胴元の側へ

前回は、一枚の地図を描いた。バブル崩壊という起点から、氷河期世代の固定、派遣市場の制度的な拡大、二重市場の格差、正社員のしがみつき、皆が少しずつ苦しい均衡——そして、その膠着の上で仲介者がレントを抜く、という終端のリンクまで。役職定年で給与が半減することも、動きたくても動けないことも、自分の値段が見えないことも、すべてが一本の連鎖のどこかで起きている、と見た。

地図の終端には、こう書き込んだ。膠着し、情報が見えにくくなった市場は、ある人たちにとっては稼ぎの場になる、と。あなたと仕事のあいだに立つ仲介者だ。そして、その内側を一つずつ解剖するのは次回からの仕事だ、と予告して、前回は閉じた。

今回から、連載は地図の下半分——胴元の解剖——に入る。最初に分け入るのは、労働者派遣だ。

なぜ派遣を最初に置くのか。理由は二つある。一つは、派遣が、仲介者が当事者になる構造を、いちばん純粋な形で見せてくれるからだ。派遣会社は、あなたを雇う「雇用主」でありながら、あなたを別の会社に送り込んで差額で稼ぐ「仲介者」でもある。この二つの顔が一人の中に同居しているのが、派遣という仕組みの核心だ。もう一つは、この業態が、自分の値段を測りにくいという前回の主題と、最も鋭く噛み合うからだ。派遣で働く人は、自分を借りている会社が、自分にいくら払っているのかを知らないまま働いている。

立ち止まって、派遣で働く人の足元から見てみよう。あなたの時給が仮に1,600円だとする。あなたを借りている会社は、その時給に対して、いくらを派遣会社に払っているのか。答えは、平均でおよそ2,500円だ。差額の900円——払われた額のうち、およそ36%——は、あなたの手元には来ない。この差額が、これから解剖する「マージン」である。

この36%という水準は、国際的に並べてみると、それほど突出していない。詳しくは後の節で見る。だとすれば、問われるべきは率の高さそのものではなく、二つの別の点になる。一つは、その差額の内側で何が見えなくなっているのか。もう一つは、海外の国々が派遣という働き方に払っているあるコストを、日本の制度が課してこなかったのはなぜか。本稿が解剖するのは、この二点である。

いま挙げた時給1,600円・料金2,500円という水準は、事務や製造を中心とした、派遣市場全体の平均像だ。この連載の主役である、メガバンクや大手企業でキャリアを積んだ高度人材——役職定年で外に出る層——が向き合うのは、より単価の高い専門職の派遣や業務委託で、そのマージンの組み立ては、平均とは異なりうる。高度人材に限ったマージン率の公開データは、ほとんど存在しない。ただ、これから見ていく「あいだに立つ者だけが両側の値段を握る」という核の構造は、単価の高低によらず共通する。

2なぜ派遣は「禁止の例外」として生まれたのか

派遣という仕組みを理解するには、それが、もともと禁じられていたものの例外として生まれた、という出自から見るのがいちばん早い。

日本には、職業安定法という法律がある。その第44条は、昭和22年(1947年)の制定以来、「労働者供給事業」——つまり、自分が支配下に置いた人を、別の会社に供給して、その差額で稼ぐこと——を、原則として禁じてきた1。なぜ禁じたのか。戦前から戦中にかけて、人を集めて現場に送り込み、賃金の中間から利益を抜く「人貸し」や「組請負」が横行し、強圧的な支配や中間搾取の温床になった、という反省があったからだ。労働基準法の第6条も、「何人も、法律に基づいて許される場合のほか、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」と、中間搾取を重ねて禁じている1。戦後の労働法は、その出発点で、「人を右から左へ流して差額で稼ぐ」ことを、二重に禁止のリストに載せたのである。

1985年に労働者派遣法が成立し、翌1986年に施行されると、この禁止に、一つの例外が開く。派遣会社が、派遣する人の「雇用主」になる——雇用契約を結び、社会保険に入れ、給与を払う責任を負う——という条件を満たすなら、その人を別の会社に送り込むことが、違法ではなくなった1。現行の派遣制度は、職業安定法44条が禁じた「労働者供給」を、雇用主としての責任とセットにすることで、管理された形で適法化した例外である。雇用関係がはっきりしていれば、それは中間搾取ではなく、正当なサービスの対価だ——というのが、その論理だった。

派遣は「禁止の例外」として、原則の上に載っている 原則 ── 禁止 職業安定法 第44条/労働基準法 第6条(昭和22年) 「労働者供給(人を供給して差額で稼ぐこと)」を原則禁止 ── 戦前の中間搾取への反省 雇用主責任を条件に、例外化(1985年) 例外 ── 条件付きで適法 労働者派遣法(1985年成立・1986年施行) 派遣元が「雇用主」になる(雇用契約・社会保険・賃金支払の責任を負う)なら、 別の会社に送り込んでよい ── 「雇用関係があれば中間搾取ではない」という論理 出典:職業安定法第44条・労働基準法第6条・労働者派遣法第1条。中間搾取の禁止という原則の上に、例外として載る構造。
中間搾取を禁じる原則の上に、「雇用主としての責任を負う」という条件をつけて、派遣は例外として載っている。この「雇用主でありながら仲介者でもある」という二重性が、派遣法が例外として組み込んだ構造そのものになる。

例外は、その後、少しずつ広げられていった。施行当初、派遣できる仕事は専門的な業務に限られていた(当初13業種、施行直後に16業種)。それが1999年の改正で、派遣できる仕事は原則として自由化され、禁じられたのは建設・港湾・警備・医療・士業・製造の六分野だけになる。2004年には、その製造業も解禁された2。前回の地図で見たとおり、派遣労働者の数は、2000年度のおよそ139万人から、製造業解禁を経て、ふくらんでいった。禁止の例外として狭く生まれたものが、四半世紀をかけて、労働市場の標準的な一部にまで広がったのである。この「広げ方」が、海外と比べてどう特異だったのかは、第7節で改めて見る。

336%という差額 ── だが、高さそのものが問題なのではない

では、その差額——マージン——とは、具体的に何を指すのか。法律は、その計算式まで定めている。

マージン率とは、「(派遣料金の平均額 − 派遣労働者の賃金の平均額)÷ 派遣料金の平均額 × 100」で計算される3。派遣先が派遣会社に払う料金から、派遣会社が労働者に払う賃金を引き、その差額が料金全体の何%にあたるかを示した数字だ。これは派遣会社が勝手に名乗っている指標ではない。2012年の派遣法改正(第23条第5項)で、すべての派遣会社が、事業所ごとにこのマージン率を公開することが義務づけられた。2021年4月からは、インターネットでの常時公開が原則になっている3

最新の公開データ(2023年度の集計速報)で、この全国平均マージン率は36.1%だ。派遣料金は1日(8時間換算)あたり平均25,337円、派遣労働者の賃金は同16,190円。差額の9,147円が、料金の36.1%にあたる4。そしてこの比率は、ここ20年ほど、ゆるやかに上がり続けてきた。2004年に28.5%だったものが、2018年に35.4%、2023年に36.1%へと、おおよそ7.6ポイント上昇している5

派遣マージン率の長期推移 ── 料金は上がったが、賃金の上がり方はそれを下回り続けた 25 30 35 40(%) 2004 28.5% 2018 35.4% 36.1% 2023 2020 同一労働同一賃金 出典:厚生労働省「労働者派遣事業報告書」集計・「マージン率等の情報提供について」。※縦軸は25〜40%にズーム。
マージン率は20年あまりで7ポイント超上がった。待遇改善のための法改正(2020年の同一労働同一賃金)を挟んでも、下がらなかった。料金は上がったが、その上昇分が賃金よりも差額の側に多く配分されてきた、ということになる。

この36%という数字は、しばしば「高すぎる」と評される。だが、国際的に並べてみると、必ずしも突出した水準ではない。

アメリカでは、派遣会社の「マークアップ率」が50%から60%といわれる6。一見、日本よりはるかに高い。ただし計算の分母が違う。アメリカのマークアップは「賃金」を分母にし、日本のマージン率は「料金」を分母にしている。アメリカの数字を日本と同じ計算式に直すと、およそ33%になり、日本の36%とほとんど変わらない。イギリスの医療派遣はおよそ30%、軽工業は21%。フランスでは、派遣料金は労働者賃金のおよそ1.9倍が標準で、これも日本と大きくは違わない6

つまり、マージン率の絶対値で見るかぎり、日本が国際的に突出して高いとはいえない。日本の派遣に固有の論点は、率の高さではなく、その差額の内側が外から見えないこと、そして、差額が何の対価なのかという中身のほうにある。本稿が率の絶対値を主題に置かないのは、この理由による。

率が上がり続けたこと自体については、近年、一つの事実が加わった。2026年6月、公正取引委員会が、大手派遣会社5社に対して、独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで立入検査に入った。2022年ごろに派遣料金の引き上げを各社で示し合わせた疑いがある、とされる7。現時点では検査の段階であり、違反は認定されていない。本稿は、この個別の事案の当否には立ち入らない。

ただ、ここで言えるのは、より一般的なことだ。少数の大手が市場の大半を占め、サービスの中身が似通っていて、価格の動きが互いに見えやすい——そういう市場では、価格を協調して引き上げる動き(カルテル)が起きやすい、というのは、競争経済学のよく知られた一般則である8。過去に世界で摘発されてきたカルテルが、価格をどれだけ吊り上げてきたかを集めた研究では、その中央値はおよそ23%にのぼる8。労働市場でも同じことが起きてきた。アメリカでは、大手IT企業どうしが「互いの社員を引き抜かない」と密かに約束していたことが摘発され、その協定が参加企業の賃金をおよそ5.6%押し下げていた、と推計されている9。看護師の派遣会社どうしが「賃金を上げない」と申し合わせて、刑事事件として有罪になった例もある9

これらは、いずれも過去に確定した、別の国の、別の事案である。日本の現在の事案について何かを言うものではない。確認できるのは、「あいだに立つ少数の事業者が、価格を協調的に動かしうる」という構造的なリスクが、人材を扱う市場に一般的に潜在する、という一点にとどまる。

そして、ここに、もう一つ、中立な政府系機関のデータが重なる。労働政策研究・研修機構(JILPT)の調査によれば、2020年に「同一労働同一賃金」のルールが入った前後で、派遣料金はおよそ11.7%上がった。ところが、肝心の派遣労働者の賃金は、3.3%しか上がっていない10。料金は大きく上がったのに、その上昇分の多くは、賃金には届かなかった。差額——マージンの側——のどこかに、それは吸収された。では、その「どこか」とは、どこなのか。次の節で、内側を開けてみよう。

4二つの顔 ── 雇用主でありながら、仲介者である

内訳に入る前に、なぜこの業態がこれほど解きほぐしにくいのか、その根っこを押さえておきたい。すべては、第1節で触れた二重性——派遣会社が、雇用主でありながら、同時に仲介者でもある——という一点から生えている。

派遣会社の二つの顔 ── 雇用主であり、同時に差額で稼ぐ当事者でもある 派遣先 人を借りる会社 派遣会社 顔① 雇用主 賃金・社保の責任 顔② 仲介者 差額で稼ぐ当事者 派遣労働者 あなた 料金 2,500円 賃金 1,600円 差額 900円(料金の36%)=マージン 両側の値段を知るのは、あいだに立つ派遣会社だけ 数値は2023年度の平均像(料金日額25,337円・賃金16,190円)を時給イメージに換算。
あなたの値段を最も安く見積もりたい相手(仲介者)が、同時に、あなたを守る雇用主でもある。料金と賃金の両方を一手に握り、両側の価格を知るのは派遣会社だけ。前回いちばん奥で見た「自分の値段が本人に見えない」という情報の壁が、ここで最も鋭い形をとる。

この二重性が、三つの、ねじれた事情を生む。

一つめ。派遣会社は、派遣先から受け取る料金を高くしたいし、労働者に払う賃金は低くしたい。差額が利益になるのだから、当然だ。ところが同じ会社が、その労働者に対しては「私はあなたの雇用主です」という顔で、信頼を求める。あなたの値段を最も安く見積もりたい相手が、同時に、あなたを守る立場でもある。この利害の向きの食い違いが、構造の根にある。

二つめ。派遣会社は、料金(派遣先からいくら取るか)と、賃金(労働者にいくら払うか)の、両方を一手に握っている。あなたは、自分を借りている会社が派遣会社にいくら払っているかを知らない。派遣先もまた、その人が手取りでいくら受け取っているかを、必ずしも知らない。両側の価格を知っているのは、あいだに立つ派遣会社だけだ。情報を握る者が、価格を決める。

三つめ。この「雇用主であり仲介者である」という構造そのものを、制度の側が是認してきた。しかも、後で見るように、その制度を緩める決定をする場に、同じ構造から利益を得る側の人物が関わっていた時期がある。

この二重性には、二つの側面がある。一方で、派遣会社が雇用主としての責任を負うことにより、労働者は社会保険に加入し、有給を取得できる。職を転々とするなかでも、雇用の継続性が一定程度保たれる。これは、何の保障もない日雇いの労務供給にはなかった機能である。他方で、仲介者としての側面——差額がどう決まり、その内側に何が入っているのか——は、外から見えない。前者は制度の到達点であり、後者は未解明のまま残されている。どちらをどう評価するかは、内訳を見たうえで、読者の判断に委ねたい。

5内側を開ける ── 見えない13.7%と、分母のからくり

では、その差額の内側を開けてみよう。

業界団体(日本人材派遣協会)が公開している標準的な内訳は、派遣料金を100としたとき、こうなる。派遣労働者の賃金がおよそ70%。社会保険料が10.9%。有給休暇の費用が4.2%。事務所の家賃や担当者の人件費、広告費などの諸経費が13.7%。そして、派遣会社の営業利益が1.2%11

派遣料金100の内訳 ── 「見える部分」と「見えない部分」 賃金 70.0 社保10.9 有給4.2 諸経費 13.7 法定コスト(検証できる) 諸経費13.7+利益1.2 =外から検証できない 利益1.2 出典:一般社団法人日本人材派遣協会(業界団体の自己申告値)。賃金比率は実測(料金25,337/賃金16,190)では約64%。
差額30のうち、社会保険料と有給費用(あわせて約15)は、誰かが必ず負担する法定コストで、外から確かめられる。だが、諸経費13.7と利益1.2の境目は、外からは検証できない。この「見えない部分」が、この節の主題になる。

この内訳を見ると、派遣会社の言い分は、もっともらしく聞こえる。差額の大半は社会保険料や有給の費用という、誰かが負担しなければならない法定のコストであって、純粋な利益は派遣料金のわずか1.2%にすぎない、と。単純な「搾取」の図式では、確かに捉えきれない。社会保険料を会社が半分負担し、有給を付与することは、労働者の保護そのものでもある。

ただし、この「1.2%」は、そのまま「派遣会社は儲かっていない」ことを意味しない。ここには、分母の取り方による見え方の差がある。「1.2%」の分母は派遣料金だ。一方、大手派遣会社が決算で公表する派遣事業の売上高に対する営業利益率は、4%から7%ほどになる。最大手のパーソルの派遣事業は、最新の決算で売上高営業利益率およそ4.5%、パソナの人材ソリューション部門は同およそ6.7%12。業界団体でない政府の委託調査(厚生労働省)でも、派遣会社の営業利益率はおよそ5.9%と算出されている12。同じ会社の利益が、内訳を語る場面では「料金の1.2%」、株主や役所に語る場面では「5〜7%」として示される。二つの数字は、分母が違うため、いずれも誤りではない。問われるのは、どちらが正しいかではなく、なぜ二つの数字が同居しうるのか、その分母の取り方である。

そして、この内訳の中で、最も外から見えない一点がある。それが、諸経費の13.7%だ。

この諸経費13.7%の中身は、共通の様式では開示されておらず、これを個社ごとに検証した第三者の研究も、調べたかぎり見当たらない(大手各社の有価証券報告書から積み上げる作業は、本研究に残された課題である)。営業利益1.2%という数字も、業界団体の自己申告にとどまる。差額の内側が妥当なのかどうかは、外部からは確かめようがない。第3節で見た、料金は11.7%上がったのに賃金は3.3%しか上がらなかった、という非対称も、この検証できない部分のどこかで生じている。

差額が検証できないことと並んで、もう一つ、見え方をめぐる非対称がある。そして、こちらは、働く人が自分の価値をどう受け取るか——その尊厳に、直接ふれる。

正社員は、会社が自分のために社会保険料を負担していることを、ふだん意識しない。日本でも、会社は正社員の社会保険料などを、賃金のおよそ15%分、裏で負担している。だが、それは「法定福利費」として会社の側の帳簿で処理され、本人の給与明細の額面には現れない21。だから正社員にとって、額面は100%、自分の価値そのものとして受け取られる。

派遣で働く人は、違う。派遣料金という分母が——自分を借りる会社がいくら払っているかが——制度上、見えてしまう。だから、そこから36%が引かれた残りを、「自分の値段」として受け取らざるをえない。同じように社会保険料が払われていても、正社員はそれを「引かれている」とは感じず、派遣だけが、目の前で差し引かれているように見える。見えることが、ここでは、自分の価値が値引きされているという感覚を生む。この、自分の値段を値引きされて受け取るほかない、という経験が、次に見る「指名されない」という構造と地続きになっている。

6指名できない、ということ ── 労働が「商品」になるとき

雇う側が抱く違和感は、料金だけではない。もう一つ、派遣には、頼む側からすると奇妙に映る規定がある。派遣を頼むとき、頼む側は「この人が欲しい」と名指しで指名することができない。「こういうスキルを持った人を」と派遣会社に依頼すると、派遣会社がそれに合う人を出してくる。ところが、その出てきた人を、事前に面接して選んだり、「この人にしてほしい」と一本釣りで特定したりすることは、法律で禁じられている。出てきた人そのものを選んで雇う、ということが、できないのだ13

なぜ、こんな構造になっているのか。これは、調べてみると、はっきりした立法上の理由がある。派遣法は、派遣先が派遣労働者を「特定することを目的とする行為」——事前面接、履歴書の事前送付の要求、年齢や性別の指定など——を禁じている13。理由は三つある。一つは、職業安定法44条が禁じた「労働者供給」との境界を守るため。派遣先が事前に人を選べてしまえば、それは事実上の「採用」になり、「人を供給して差額で稼ぐ」という禁じられたはずの行為と、見分けがつかなくなる。二つめは、差別を防ぐため。容姿や年齢や性別で事前に選別されることから、労働者を守る。三つめは、派遣会社の雇用主としての責任が空洞化するのを防ぐためだ。

つまり、この「指名できない」という規定は、もともと労働者を守るために作られた、保護の規定なのである。

ところが、その保護が、別の顔をして立ち現れる。頼む側からは、こう見える。スキルを指定して頼んだのに、出てきた人を選べない。互いに顔も合わせないまま、人と仕事が結びつけられる。労働者を守るための規定が、雇う側には、人と人とが直接には出会えない、どこか非人間的な仕組みとして体感される。一人の実務家は、これを「信じられない構造だ」と言った。スキルの束として人を発注し、出てきた個人を、個人として選ぶことも、断ることもできない。

この構造は、人を、交換可能な単位として——スキルの束として——扱う側面を持つ。この点は、国際的な労働の原則と照らし合わせると、輪郭がはっきりする。国際労働機関(ILO)が1944年に掲げたフィラデルフィア宣言は、その第一条で、こう述べている。「労働は、商品ではない」14。人間の労働を、市場で売買されるモノのように——需要に合わせて配送され、不要になれば返品される在庫のように——扱ってはならない、という原則だ。経済人類学者のカール・ポランニーは、これを別の角度から論じた。労働も、土地も、貨幣も、もともと売るために作られたものではない。それを「あたかも商品であるかのように」扱うことで、はじめて市場は回る。だが、その擬制——本当は商品でないものを商品として扱うこと——には、人間を価格メカニズムの単なる客体に還元してしまう危うさがつきまとう、と14

派遣という仕組みは、この境界線の上にある。労働者は、時給とスキルの束として登録され、需要に応じて配置され、契約が切れれば撤収される。個人の顔も、これまでの経歴も、制度上は背景に退く。そして、この構造を生んだのは、「労働者を差別から守る」という保護規定だった。保護のための「指名の禁止」が、結果として、個人を個人として扱わない——交換可能な単位として流通させる——構造を、制度の側から固定している。守るための規定が、人間の固有性を、市場から見えにくくしている。

この「派遣先は労働者を指名・特定できない」という規定を、法律の条文で明示しているのは、国際的に見ると、日本に固有の特徴だといってよい13。EUの派遣労働指令にも、イギリスの派遣労働者規則にも、これに当たる明文の規定は見当たらない。なぜ日本だけがこれを明文化したのか。それは、第2節で見た「職業安定法44条の全面禁止を、条件付きで解禁する」という、日本に固有の歴史的な経緯から、解禁の境界線を引くために生まれたものだった。守るために引いたその線が、いつのまにか、人を商品として流通させる構造の、見えない土台になっている。dignity——人間の尊厳——という言葉を使うなら、問われているのは、この一点だ。

7日本の本当の異常 ── 海外が払い、日本が払っていないもの

ここまでで、派遣の内側の「見えなさ」を見てきた。第3節で触れたとおり、マージン率の高さでは、日本は突出していなかった。視点を海外に移すと、別の輪郭が現れる。海外の国々が派遣という働き方に対して払っているコストを、日本の制度が課してこなかった——その差である。

海外が払い、日本が払っていないもの ── 制度設計の四つの差 論点 海外 日本 派遣・有期そのものへの割増 不安定さのコスト 仏:賃金の10%(不安定雇用手当) なし 正社員との均等賃金 権利か、努力義務か EU:就労初日から「権利」 努力義務・賞与格差は判例で温存 派遣を使える範囲 使うのに正当化が要るか 韓:許可32業種のみ(製造業は禁止) 禁止以外は原則自由・製造業も 労働者から手数料 コストは誰が負うか ILO181号:取らないのが国際標準 条約は批准済 出典:仏 労働法典L1251-32/EU指令2008/104/EC/韓国KLI・JILPT/ILO第181号条約。日本=該当制度の不在・努力義務にとどまる。
マージン率の高さではなく、この四つの差にこそ、日本の派遣の特異がある。海外は「不安定さのコスト」を雇う側に払わせ、「均等待遇」を労働者の権利として与え、「使う範囲」に正当化を求めてきた。日本は、そのいずれも、ほとんど課してこなかった。

一つめ。フランスには、「不安定雇用手当」という制度がある15。派遣や有期で人を雇った場合、その契約が終わるときに、雇った側は、賃金総額のおよそ10%を、上乗せして労働者に払わなければならない。法律(労働法典)で定められた義務だ。考え方はこうだ。派遣や有期という働き方は、本人にとって不安定である。その不安定さは、雇う側の都合で生じている。だから、その不安定さのコストは、雇う側が負担すべきだ——と。「派遣を使うこと」そのものに、割増の値札がついている。この発想が、日本の法律には、まったく存在しない。日本では、派遣を使うほうが、正社員を雇うより安く上がる。フランスでは、その「安さ」に、制度が10%の歯止めをかけている。

この手当の背後には、経済学の古い考え方がある。「補償賃金格差」と呼ばれるものだ。アダム・スミスが250年前に書き、後の労働経済学が定式化したこの考え方は、こう言う。危険な仕事や、不安定な仕事には、それを補うだけの割増賃金が、本来は付くはずだ、と19。いつ切られるか分からない働き方を選ぶ人には、その不安の分だけ、高い対価が支払われてしかるべきだ——という、市場の素直な理屈である。実際、アメリカやヨーロッパの専門職の世界では、いつでも契約を切れる代わりに高い単価を払う独立契約者(コントラクター)が、正社員の時給換算を上回る名目単価を得るのが、ふつうのことだ(ただし、有給も社会保険の会社負担もない分、手取りまで含めて得かどうかは職種による)19

ところが、日本の派遣では、この理屈が、逆さまになっている。不安定さへの割増が付くどころか、派遣で働く人の時給は、同じ仕事をする正社員の時給換算を、むしろ下回る。非正規で働く人の賃金は、平均すると正社員のおよそ67%だ19。本来リスクを負う側に乗るべき割増が、日本では、統計の上に現れない。それどころか、マイナスになっている。最もリスクを負う者が、最も値引きされている。

この逆転を、雇う側はこう正当化する。35%のマージンは、いつでも人員を増減できる「柔軟性」への対価なのだ、と。一理あるように聞こえる。だが、問わなければならない。その柔軟性のリスクを、実際には誰が引き受けているのか。もし派遣会社が、雇用を保証することでそのリスクを引き受けているなら、対価の理屈は通る。ところが、市場の主流である登録型の派遣では、派遣先との契約が切れれば、労働者と派遣会社のあいだの雇用契約も、同時に消える。次の派遣先が決まるまでの待機期間は、法律上、無給だ。会社の都合で仕事を休ませたときに払う休業手当も、雇用契約が続いている無期型の人にしか及ばない20。そしてリーマンショックのとき、景気が傾いた途端に真っ先に切られたのは、派遣で働く人たちだった。厚生労働省の集計で、わずか数か月のあいだに、派遣労働者だけで107,375人が職を失っている20。柔軟性のコストは、派遣会社が引き受けているのではない。労働者本人が、「不安定な身分」という形で、丸ごと負っている。リスクを最も負う者が、プレミアムを得るどころか、最も削られる——この矛盾が、海外との対比で、いっそうくっきりと見えてくる。

二つめ。均等な待遇が、「権利」なのか、「努力目標」なのか、という違いだ。EUの派遣労働指令は、派遣で働く人に、就労した初日から、派遣先の正社員と同等の基本的な労働条件を、労働者の側の権利として保障している16。ドイツでも、一定期間を超えれば、同等の賃金が義務になる。これに対して日本は、2020年に「同一労働同一賃金」を入れたものの、その設計は、派遣元と派遣先の「義務」として分散され、しかも基本給や賞与の格差については、最高裁が「ただちに不合理とはいえない」として、構造的に温存することを認めてしまった16。欧州では労働者が「これは私の権利だ」と言えるものが、日本では「会社が努めるべきこと」にとどまっている。

三つめ。そもそも派遣を「どこまで使ってよいか」の考え方が、逆になっている。韓国は、派遣を使える仕事を、許可された32業種に限っている。製造業の直接の生産工程に派遣を使うことは、禁じられている。「派遣を使うには、正当な理由が要る」という発想だ。一方、日本は、第2節で見たとおり、1999年以降、「禁止された業種以外は、原則として何にでも使ってよい」という方式に転換し、2004年には製造業も解禁した。「禁止されていなければ、何でもよい」。この、規制の哲学そのものの違いが、日本の派遣を、際限なく広げてきた17。なお、この規制緩和を議論した2010年代の政府の会議には、規制の対象となる人材派遣業の関係者が委員として参加しており、その利益相反が国会の質問主意書でも取り上げられている18

これらの根底には、一つの国際的な約束がある。ILOの第181号条約は、民間の職業仲介について、「労働者から手数料を取ってはならない」という原則を定めている。コストは、労働者ではなく使用者の側が負う——これが国際標準だ。日本は、この条約を1999年に批准している17。同じ年に、日本は派遣の規制を大きく緩めた。労働者保護のための国際条約の批准と、派遣規制の緩和とが、同じ年に並行している。

日本の派遣の異常は、マージン率の高さにあるのではない。海外が「不安定さのコスト」を雇う側に払わせ、「均等待遇」を労働者の権利として与え、「派遣を使う範囲」に正当化を求めてきたのに対し、日本は、そのいずれも、ほとんど課してこなかった。派遣を使う側にとって、これほど安く、これほど自由な制度は、先進国では珍しい。そのツケは、見えない差額と、商品化された個人と、薄いままの賃金として、働く人の側に積もっている。

8どこに手を入れられるか ── 見えない部分に、中立の光を

ここまでで、派遣という業態の解剖が、ひととおり終わった。問題は「搾取率が高い」という一点には還元できない。むしろ、いくつもの「見えなさ」と「払われなさ」に分かれている。差額の内側(諸経費13.7%)が検証できないこと。派遣で働く人が、自分の価値を独立して確かめる手段を持たないこと。個人が、指名もされず、商品のように流通すること。そして、海外が払っているコストを、日本の制度が雇う側に課してこなかったこと。根は、つながっている。あいだに立つ者だけが両側の情報を握り、当事者どうしは互いを直接には見られない、という情報の非対称である。

だとすれば、どこに手を入れればいいかも、見えてくる。賃金を法律で底上げするのも、マージン率に上限を設けるのも、一つの考え方ではある。だが、それらは料金の水準そのものを外から押さえつける規制であって、運用は難しく、副作用も大きい。それより手前に、もっと構造的で、もっと実現可能な余地がある。見えない部分を、見えるようにすることだ。

派遣会社を「雇用主であり仲介者である」という二重性から、無理に引きはがす必要はない。雇用主としての保護機能は、むしろ守るべきものだ。手を入れるべきは、仲介者の側の「見えなさ」のほうである。具体的には、当事者でない中立な第三者が、次の三つの層で立てるなら、この構造の手触りは変わる。

一つめは、差額の内側を、検証できる形に開く層だ。いまは事業所ごとに自己申告で公開されている内訳——社会保険料、有給費用、諸経費、利益——を、共通の様式に揃え、第三者が突き合わせて確かめられるようにする。諸経費13.7%が、本当に費用なのか、それとも利益が紛れ込んでいるのか。それを外から検証できるようにするだけで、「見かけの1.2%」をめぐる疑問は、ようやく問いの土俵に乗る。

そして、この層は、もう一つのことを可能にする。見え方の組み替えだ。第5節で見たように、いま派遣で働く人は、社会保険料も諸経費も利益も一緒くたになった「差額」を、目の前で差し引かれている。だが、もし法定の費用(社会保険料など、誰かが必ず負担するもの)と、派遣会社の純粋な利益とを、はっきり切り分けて示せたらどうか。派遣で働く人も、正社員と同じように、「これが自分の額面、これは会社が自分のために負担している法定の費用、そしてこれが仲介の対価」と、分けて受け取り直せる。第6節で見た、分母が見えるがゆえに値引きされていると感じる、あの感覚は、この切り分けによって、かなり和らぐはずだ。見えなくするのではなく、正しく見えるようにすることで、尊厳は取り戻せる。

二つめは、料金と賃金の乖離を、市場をまたいで見えるようにする層だ。同じスキル、同じ地域、同じ職種で、派遣料金と賃金がどう開いているのか。その分布が見えれば、派遣で働く人は、はじめて「自分の値段」のあたりをつけられる。前回いちばん奥で見た情報の壁に、一か所、穴が空く。

三つめは、均等な待遇が実際に守られているかを、派遣元でも派遣先でもない立場から、記録し、照合する層だ。欧州が「権利」として設計し、日本が「努力義務」にとどめたものを、当事者でない第三者が記録する役を引き受けることで、公開された数字が、はじめて検証と是正のために使われはじめる。

見えない部分に、中立の光を ── 中立清算の三つの層 1 第一層 ── 差額の内側を、検証できる形に開く マージンの内訳(社保・有給・諸経費・利益)を共通様式に揃え、第三者が突き合わせる →「諸経費13.7%は費用か利益か」が問え、本人も正社員と同じ見え方で受け取り直せる 2 第二層 ── 料金と賃金の乖離を、市場をまたいで見える化 同じスキル・地域・職種で、派遣料金と賃金がどう開いているかの分布を可視化 → 派遣で働く人が、はじめて「自分の値段」のあたりをつけられる 3 第三層 ── 均等待遇の遵守を、第三者が記録・照合 派遣元でも派遣先でもない立場で、待遇の実態を記録し、突き合わせる →「努力義務」にとどまっていた均等待遇が、はじめて検証と是正に使われる 三層に共通 ── どちらの当事者でもない中立な第三者が担う 当事者でないことが、弱さではなく、強さになる 料金やマージンを外から押さえつける規制ではなく、見えなかったものを見えるようにする設計。具体的な仕組みは連載最終回で論じる。
派遣の三つの見えなさ——差額の内側、自分の市場価値、待遇の遵守——に、中立の層を一つずつ当てる。賃金を法律で底上げするのでも、マージン率に上限を課すのでもない。見えなかったものを、見えるようにする。どの層も、当事者でない第三者だからこそ、取引関係を失う痛みを負わずに担える。

この三つの層に共通するのは、どちらの当事者でもない第三者が担う、という一点だ。派遣会社は、自分の差額を自分で問題提起できない。それが自分の利益を削るからだ。派遣先も、派遣労働者も、取引関係を壊す痛みを恐れて、過大なマージンや待遇の格差を、自分からは指摘しにくい。当事者でない第三者だけが、その痛みを負わずに、見えない部分に光を当てられる。当事者でないことが、ここでは弱さではなく、強さになる。この「中立な立ち位置」を、どういう仕組みで成り立たせるのか——その具体的な設計は、連載の最終回で、改めて論じる。

今回は、胴元の解剖の最初の一業態——労働者派遣——を、構造として開けた。だが、あなたと仕事のあいだに立つ仲介者は、派遣会社だけではない。次回は、求人の情報と、人を紹介する手数料と、派遣の差額を、一つの会社が三つの層で同時に握る、もっと大きな胴元——巨大な人材プラットフォーム——の中に分け入っていく。派遣が「雇用主でありながら仲介者である」二重性で当事者になるのに対し、そちらは、市場そのものの土俵を所有することで当事者になる。胴元の顔は、一つではない。解剖は、続く。

参考文献・出典

全主張に一次資料・学術/業界調査を付す。=一次・公式統計/=報道・業界調査・一次未照合。数値は確定値に統一し、未確定値は本文で用いない。

本ミニリサーチは連載「手放さずに、増やす」の第4回(胴元の解剖編・最初の一業態=労働者派遣)。前回=第3回「病巣の全体像 — 日本型雇用は、どこで噛み合い、どこで外れたのか」。次回=第5回「リクルート — 求人・紹介・派遣を一社で握る、もっと大きな胴元」。 資料一覧へ →