連載「手放さずに、増やす ── 人生100年時代、大企業人材の選択肢」。ここまでの五回で、あなたと仕事のあいだに立つ仲介の構造を解剖してきた。今回は視点を変え、囚われを解くものを探す。手がかりは、いま外から吹いている一つの風——副業を後押しする政策の追い風だ。その風は本物である。それでも、囚われた人を外へ運びきれていない。なぜか。旗は立った。だが、橋が、まだない。
ここまでの五回で、あなたと仕事のあいだに立つ仲介の構造を、解剖してきた。後払いで報われるはずの賃金が役職定年で崖を迎えること。自分の市場価値が自分には見えないこと。派遣という仕組みの内側。そして、紹介・マッチング・スカウトといった仲介のモデルが、それぞれの報酬の向きゆえに、利用する人の最善だけを向ききれないこと。ここまでが、囚われの構造の解剖だった。
ここから、視点を変える。囚われを解くものは、何か。その最初の手がかりを、いま外から吹いている一つの風に求めてみたい。
おそらく、あなたの勤め先でも、ここ数年で、副業についての扱いが変わったのではないか。かつては就業規則のどこかに「許可なく他社の業務に従事してはならない」と書かれていた。それが、いつのまにか「届け出れば認める」に変わり、あるいは社内に副業の制度ができ、説明会が開かれた。長く一つの組織にいた人ほど、この変化に、戸惑いと、かすかな期待の両方を覚えたかもしれない。外で自分の力を試してよい、と会社が言いはじめた。それは、これまでの連載でたどってきた「囚われ」に、外から差した、小さな光のようにも見える。
この変化は、あなたの会社が独自に決めたことではない。その背景には、国全体で進んできた、副業を後押しする政策の流れがある。今回は、その追い風が、いったいどれほどのもので、そして、なぜ、それだけでは囚われた人を外へ運びきれないのかを、確かめていく。
まず、確認しておきたい。副業を後押しする政策の流れは、思いつきや一時のかけ声ではない。十年近くかけて、段階的に、制度として積み上げられてきたものだ。
起点は、2018年1月にさかのぼる。この月、厚生労働省は、企業が就業規則の手本として使う「モデル就業規則」を改定し、長らくそこにあった「許可なく他の会社等の業務に従事しないこと」という一文を、削除した1。代わりに、労働者は勤務時間外に他社の業務に従事できる、と明記された。副業は、原則禁止から、原則容認へと、建前が反転した。多くの企業が就業規則の下敷きにするこの手本が変わったことは、各社が副業を解禁していく、その法的な背景になった。
同じ時期に作られた「副業・兼業の促進に関するガイドライン」は、その後、二度にわたって強化された。2018年に策定され、2020年に改定、2022年にもう一度改定2。企業が副業を制限してよいのは、本業に支障が出る、機密が漏れる、信頼関係が壊れる、競業にあたる——この四つの場合に限る、と線が引かれた。2022年の改定では、企業に対し、自社が副業をどう扱っているかを公表するよう促す項目も加わった。
風は、一つの省庁からだけ吹いているのではない。経済産業省は、企業が社員を副業に送り出す、あるいは外から副業人材を受け入れる、その費用を補助する制度を設けた3。内閣の「新しい資本主義」の実行計画には、副業の促進が、成長分野へ人が移っていく、その端緒として書き込まれた3。経済界も同じ方向を向く。日本経済団体連合会は、2025年に公表した労働移動に関する行動計画のなかで、副業・兼業の事例を企業のあいだで広げることを促し、あわせて、副業時の割増賃金の計算に関わる規制の見直しを、政府への要望の最優先に挙げた4。
法律の整備も進んでいる。2024年11月には、フリーランスとして業務委託を受ける人を保護する法律が施行された5。副業で業務委託を受ける会社員も、従業員を雇わない事業者として、この保護の対象に入る。発注する企業には、委託の条件を書面で示す義務、報酬を期日までに支払う義務などが課された。さらに、副業をするときに本業と副業の労働時間をどう通算して管理するか——企業が副業を敬遠する大きな理由の一つだったこの複雑な規制についても、簡素化に向けた議論が、労働政策の審議の場で続いている6。
並行して、学び直しへの支援も厚くなった。政府は、個人のリスキリングに五年で一兆円を投じると表明し、一定の教育訓練を修了して賃金が上がった人には、かかった費用の大部分を給付する仕組みを拡充した7。副業、学び直し、そして成長分野への労働移動。この三つを束ねた政策のパッケージが、いま組まれている。
複数の省庁、内閣、経済界が、そろって同じ方向を向いている。これは、一つの旗振り役の都合で簡単に消える風ではない。追い風が本物であること、それ自体は、疑う余地が少ない。
風は吹いている。では、その風を受けて、人は実際に動きはじめたのか。ここで、数字を二組、並べてみたい。ただし、副業を「している人」の割合は、どの調査を見るかで、大きく振れる。誰を母集団に数えるかが、調査ごとに違うからだ。だから、まず物差しをそろえる。
国の就業構造基本調査によれば、2022年の時点で、副業をしている人は332万人、働いている人全体に占める割合は5.0%だった8。一方、働く人を対象にした民間や研究機関の調査では、対象の絞り方によって、6%台から、正社員に限れば11%まで、数字が上がる9。これらは、どれかが正しくどれかが間違っているのではない。数える母集団が違うだけだ。働く人全体で見れば二十人に一人、正社員に限れば九人に一人。母集団を変えれば、見える率も変わる。
その上で、同じ調査のなかで取られた、比べられる二つの数字を見る。比較ができるのは、同じ物差しで測られたときだけだからだ。
一つめ。国の同じ就業構造基本調査で、副業を「している人」は332万人、副業を「したいのにしていない人」は493万人だった8。希望する人が、実際にしている人の、およそ一・五倍いる。つまり、外へ出たいと思いながら、まだ出ていない人の層が、すでに出た人よりも、厚く存在する。
二つめ。企業を対象にした2025年の調査では、社員の副業を「認めている」企業は64.3%にのぼった。ところが、外から副業の人材を「受け入れている」企業は、29.1%にとどまる10。同じ企業という母集団のなかで、送り出すことには三社に二社が同意しながら、受け入れることには三社に一社しか動いていない。35ポイントを超える、この差。出口は広げたが、入口は、まだ狭い。
二つの溝は、別々の場所で測られたものだが、同じ一つのことを指している。制度は「してよい」と言った。けれども、「してよい」と「している」のあいだには、まだ埋まらない隙間が残っている。風は吹いているのに、帆を上げた船の多くが、岸を離れられずにいる。
では、なぜ、隙間は埋まらないのか。
理由は、一つではない。働く人に、なぜ副業をしないのかを尋ねた調査では、上位に並ぶのは、労力に見合う収入が得られない、私生活が削られる、本業が疎かになる、といった答えだ11。
これらの理由のいくつかは、外に渡る橋があるかないか、という問いとは、別のところにある。割に合うかどうかを見極めるのも、本業を優先するのも、一人ひとりが、自分の事情のなかで選ぶことだ。副業をするかしないか、その選択そのものを、ここで論じようとしているのではない。外で力を試したい人もいれば、そうでない人もいる。ここで目を向けたいのは、外に出たいと望みながら、出られずにいる人——希望493万人と実施332万人のあいだの溝に立つ人——の前に、何が横たわっているのか、である。
そして、長く一つの組織で力を蓄えてきた人——本連載が見つめてきた人たち——の前に横たわるものは、市場の、もっと手前にあるように見える。外でいくらに値づけされるのかは読みにくく、本業に知られれば処遇に響くのではないか、という懸念もある。副業に動いたこと自体が、その後の配置転換の呼び水になりはしないか、という受け止めも、聞かれる。市場に出て仲介の構造に突き当たる、その手前で、最初の一歩が、踏み出されないままになりやすい。
だとすれば、隙間を埋めるために要るものも、「副業をしてよい」という許しの上塗りとは、別の方向にあることになる。副業が、リスクばかりに見えてしまわないだけの、足場のほうだ。外で何ができるかが、本業の側にも副業の側にも、偽りなく伝わり、それが不利に働かない。そうした、安心して外に片足を置ける条件が、いまは、まだ整っていない。
その欠落を、二つの側から見ておく。まず、企業の側。ガイドラインは、企業に副業を認めるよう促す。だが、それを強制する力は持たない2。だから、多くの企業は、情報が漏れるかもしれない、競業になるかもしれない、労働時間の管理が煩雑だ——そうした理由から、制度の上では認めつつ、運用では事実上の許可制を保っている。容認を掲げる企業のもとでも、副業を勤め先に申告せずに行っている人が相当数にのぼることが、複数の調査で確かめられている12。会社は「してよい」と言った。働く人は、それでも、黙って始めている。両者のあいだに、信頼が成り立っていない。
もう一つは、市場の側。いざ外で副業を始めようとしても、そこで出会うのは、前回までに見た、あの仲介のモデルだ。報酬が取引の成立に向いているために急かしてくる仲介。手数料が自分の報酬から差し引かれていく場。条件が後から出てくる取引。政策は、副業の扉を開けた。だが、扉の外に広がる労働市場の構造——誰が、何に対して報酬を受け取り、誰が情報を握っているか——は、扉が開いても、変わっていない。
ここに、追い風が空回りする理由がある。政策は、旗を立てた。「副業をしてよい」という旗だ。だが、岸と岸のあいだに、橋を架けてはいない。安全に渡れる橋——どんな条件で、どれだけの時間、いくらで働くのかを、双方が偽りなく確かめ合える、中立の足場——を、誰が用意するのかを、政策は定めていない。補助金は、送り出す企業と受け入れる企業の背中を、いくらか押す。だが、取引そのものの透明さや、いざこざが起きたときの収め方や、二つの仕事を掛け持ちする人の労働時間や保険をどう扱うかという、渡るための足場については、旗の下に、まだ何もない13。
足場づくりは、一直線にも進んでいない。橋の一部を成すはずの動き——副業と本業の労働時間をどう通算するかという、企業が副業を敬遠する原因の一つを取り除くための制度の見直し——でさえ、労働時間の規制を強める方向と緩める方向の綱引きのなかで、2026年の国会への改正案の提出は、見送られた6。旗を高く掲げることと、その下に足場を組むことは、同じ速さでは進んでいない。
旗を見上げて、岸に立つ。向こう岸が、行ってよい場所になったことは分かる。だが、渡る橋がないなら、多くの人は、岸にとどまる。希望493万人と実施332万人の溝も、容認64.3%と受入29.1%の溝も、突き詰めれば、この一点——旗は立ったが、橋がない——から生えている。
風が強まるほど、その影もまた、濃くなる。
雇用契約を結んで副業をしている人のなかで、本業の残業と副業を合わせた労働時間が、週45時間を超える人が、三割を超える(34.1%)。そして、そのうちの半数以上が、副業をしていることを本業の勤め先に伝えていない12。過重な労働を経験したと答えた人の割合は、調査開始以来、最も高くなった12。橋のないまま船を出した人たちが、見えないところで、無理を重ねている。その姿が、データに表れている。
この事実は、二通りに読める。一方では、これは、自由化が生んだ歪みであり、副業をこれ以上広げることへの慎重論の、根拠になりうる。健康を損なってまで掛け持ちさせるのか、と。他方では、これは、副業そのものの罪ではなく、副業を安全に行うための足場——労働時間が両方の勤め先から正しく見え、無理が早めに止められる仕組み——が欠けていることの、表れだとも読める。同じ橋の不在が、希望者を岸に足止めすると同時に、出てしまった人を無理へ追い込む。
どちらの読み方が正しいかを、ここで決めることはしない。確かなのは、この影が、追い風と同じ根を持っているということだ。旗だけが立ち、橋が架かっていない。その同じ一つの欠落が、片方では人を動けなくし、もう片方では、動いた人を守れずにいる。
ここまでを、整理しておく。副業を後押しする政策の追い風は、本物だった。複数の省庁と経済界が同じ方向を向き、十年かけて制度が積み上げられてきた。だが、その風は、囚われた人を外へ運びきれていない。希望と実施のあいだ、容認と受入のあいだに、溝が残る。溝の正体は、旗は立ったが橋がない——「してよい」と言われた取引を、安全に、公正に、透明に成り立たせる足場が、まだ誰の手でも用意されていない、ということだった。
だとすれば、追い風を、本物の出口に変えるために要るものも、見えてくる。それは、もう一段の規制緩和でも、もう一枚の補助金でもない。渡るための橋——取引の条件が双方から偽りなく見え、持ち運んできた力が正しく値づけされ、どちらの当事者にも与しない中立の場で精算される、その足場である。
この橋は、一本の桁では架からない。少なくとも、三つの受け皿が要る。一つは、取引の条件——報酬、時間、業務の範囲——が、後出しされず、双方に同じように見えること。二つめは、長く一つの組織で培った力が、外でも通じる言葉に翻訳され、値づけされること。前回見た「自分の市場価値が自分に見えない」という壁を、解くものだ。三つめは、その取引を、発注する企業にも、働く個人にも与しない、中立な第三者が支えること。報酬の向きが、取引の成立でも、運営者の儲けでもなく、場が公正に保たれること自体に向く——前回の最後に触れた、あの向きである。
この三つを、これからの回で、一つずつ開けていく。次回は、その入口として、外へ出る道は転職だけではない、という話をしたい。会社を辞めて移るのではなく、いまの仕事を続けながら、副業という小さな扉から外へ手を伸ばす。追い風が最も素直に効くのは、すべてを手放して飛び移る人にではなく、足場を残したまま、片足を外に置く人にである。旗は立った。次に要るのは、渡るための、橋である。
全主張に一次資料・学術/業界調査を付す。確=一次・公式統計/中=報道・業界調査・自社公表/低=非公開ゆえ独立検証不可。数値は母集団の物差し(個人調査 vs 企業調査・調査年次)を注記し、別々の調査の値を足し合わせない。固有名は本文に出さず、出典帰属としてのみ記す。省庁・政策名は公的事実として本文に記す。