Mini-Research 08 | 研究ミニリサーチ 第8回

スキルの、共通言語 ── あなたの力を、外でも通じる言葉に翻訳する

連載「手放さずに、増やす ── 人生100年時代、大企業人材の選択肢」。副業で片足を外に置いても、自分の力が何語で値づけされるのか分からなければ、取引はできない。自分の市場価値が見えない――その壁の正体を、力を測る物差し(共通言語)の不在として解剖し、その物差しが海外でどう整えられ、日本でどこまで来ていて、最後の溝を誰が埋めるのかを確かめる。

1副業で外に出た。だが、自分の力は、何語で値づけされるのか

前回は、外へ出る道は転職だけではない、という話をした。会社を辞めて移るのではなく、いまの仕事を続けながら、副業という小さな扉から片足を外に置く。それが囚われを解く最初の一歩になる――そう書いた。

だが、扉を開けて片足を外に置いたところで、すぐ次の壁にぶつかる。あなたは自分の力を、外の誰かに売ろうとする。けれども、その力を、どんな言葉で説明すればいいのかが分からない。

たとえば、あなたがある大手企業で、長く一つの部門を率いてきたとする。社内では、あなたの肩書きと名前を言えば、それで通じた。「あの人が言うなら大丈夫」「あの部署を二十年見てきた人だ」。説明は要らなかった。あなたの力は、組織のなかで文脈ごと共有されていた。

ところが、外に出たとたん、その文脈がまるごと消える。副業の案件に応募しようとして、経歴を書く欄を前に手が止まる。「部長」と書いても、その部長が何をどこまでできる部長なのかは伝わらない。「予算管理」と書いても、いくらの予算を、どんな制約のもとで、どう回してきたのかは伝わらない。あなたが二十年かけて身につけた力は、たしかにそこにあるのに、それを外の言葉へ翻訳する辞書を、あなたは持っていない。

これは第2回でたどった、あの壁――自分の市場価値が、自分には見えない――のもう一つの顔だ。第2回では、その壁を見えなさとして描いた。今回は、それがどこから来ているのかを、一段深く掘る。見えないのは、あなたの目が曇っているからではない。あなたの力を測る物差しが、そもそもこの国には十分に整っていないからだ。

今回は、その物差し――スキルの共通言語――をめぐる話をする。その仕組みがいまどこまであって、どこが欠けているのか。欠けている部分を誰がどうやって埋められるのかを、確かめていく。

2物差しがない、ということ

まず、いま起きていることを数字で確かめておく。

第2回でも触れたが、転職を希望する就業者のうち、翌年になっても転職していない人の割合は87%にのぼる1。希望は、ほとんど行動に移っていない。実際に転職活動を始めた人に絞っても、およそ六割が、一年のうちに転職に至っていない1。活動はした。けれども決まらなかった。とりわけ年齢が上がるほど、この摩擦は大きくなる。やや古い調査だが、40代の転職活動には平均でおよそ19週を要し、十社以上に応募した人が三人に一人を超えたという記録もある2。動こうとした人ほど、長く、深く空回りしてきた。

この空回りは、しばしば「日本人は動かない」「中高年は腰が重い」といった、人の気質の問題として語られる。だが、気質だけでは説明がつかない。動こうとして、十社に応募しても決まらない人を、腰が重いとは呼べない。動けないのではなく、動こうとしても、噛み合わないのだ。

では、なぜ噛み合わないのか。一つの大きな理由は、売る側と買う側が違う言葉を話していることにある。

あなたは、自分の力を「二十年の管理経験」と表現する。求人を出す企業は、欲しい力を「事業計画を自力で立てて回せる人」と表現する。この二つが同じものを指しているのか別のものなのか――それを照合する共通の物差しが、ない。だから、あなたは自分が条件に合うのか分からず、企業はあなたが欲しい人か分からない。互いに相手が見えないまま、すれ違う。

経済学には、古くからこうした状況を説明する考え方がある。売り手だけが売るものの中身を知っていて、買い手には見えないとき、市場では良いものほど取引されにくくなる、というものだ3。買い手は用心して、低い値しかつけない。すると、本当に良いものを持つ売り手は、売る気をなくし、市場から引っ込む。残るのは中身の怪しいものばかり――市場が内側からやせ細っていく。

労働市場でも、これに似たことが起きる。あなたの力の中身が外から見えなければ、外の市場は用心して低い値しかつけない。あるいは値をつけることすら、できない。あなたという良い売り手は、その扱いに嫌気がさして、外に出るのをやめ、囚われの場所にとどまる。

物差しがない、ということは、たんに不便だという話ではない。市場が、あなたの力を正しく値づけする能力を、構造として失っているということなのだ。

もっとも、物差しの不在が、人の動かなさのすべてを説明するわけではない。年功で積み上がった賃金を手放す痛み、現職を離れる不安、家族の事情――いくつもの要因がからまり合い、互いを支え合って、人が動かないことが当たり前になる一つの均衡をかたちづくっている。物差しの不在は、その均衡が生んだ結果であり、同時に均衡を保つ部品でもある。だから、物差しさえ整えれば人がいっせいに動きだす、とは言えない。けれども物差しは、絡まり合った要因のなかで、外から手を入れてほどける数少ない一本である。賃金制度や雇用慣行を一夜で変えることはできないが、力を測る言葉を整えることなら始められる。

物差しの不在 ── 売る側と買う側が、違う言葉を話している あなたが話す言葉 「部長」「予算管理」 「二十年の管理経験」 肩書き・社内文脈・年数 共通の物差し (空欄) 力を測る共通の言葉が まだ十分に整っていない 企業が話す言葉 「事業計画を自力で 立てて回せる人」 欲しい力・特定の技能 空欄ゆえに起きること ①照合できない 自分が条件に合うか 分からない ②低く値づけされる 見えないものは 用心して安く(逆選択) ③良い人ほど出ない 嫌気がさし 囚われにとどまる ※物差しの不在は動かなさの一因。賃金・年功・離職不安・リスク回避と複合して「低流動性の均衡」を成す(②本文の留保)。
あなたの力を表す言葉と、企業が欲しい力を表す言葉。その二つを照合するはずの共通の物差しが、まだ十分に整っていない。だから両者はすれ違い、見えない力は低く値づけされ、良い人ほど外に出るのをやめる。物差しの不在は、不便なだけでなく、市場が力を正しく値づけする能力を構造として欠く、ということを意味している。

3物差しは、つくれる ── 海外が示したこと

では、その物差しは、つくれないものなのか。

そうではない。力を測る共通の言葉を、社会の公共の財として整える――その試みは、すでに海外で数十年かけて行われてきた。代表的なものを二つ、見ておきたい。一社一社のサービスではなく、国や地域が公共のものとして整えた物差しの話だ。

一つは、アメリカが整えた職業情報のデータベースだ4。膨大な数の職業を一つずつ取り上げ、それぞれがどんな知識を、どんな技能を、どんな能力を必要とするかを、共通の項目で記述してある。労働省の支援のもとで構築され、誰でも無料で使える。自分がいま持っている力は、どの職業のどの要件に当たるのか――それを同じ物差しの上で照らし合わせられる。力が、職業の枠を越えて横に持ち運べる言葉になっている。

もう一つは、ヨーロッパが整えた、技能・能力・職業の分類だ5。複数の言語にまたがって、職業とそれに必要な技能や能力を、共通のコードで結びつけたものだ。言葉も制度も違う国々のあいだで「この技能」と言ったときに同じものを指せるよう、いわば技能の翻訳辞書として設計されている。国境を越えて人が動く前提の地域だからこそ、力を共通の言葉に翻訳する仕組みが、社会の土台として必要とされた。

これらに共通するのは、力を個人や一企業の内部に閉じ込めず、社会が共有する公共の言語として外に開いた、という発想である。力の中身が、誰の目にも同じ言葉で見える。だから売り手と買い手は、同じ物差しの上で照合できる。②で見たすれ違いの根そのものに、手が打たれている。

ここで注意しておきたい。これらの仕組みが整っているからといって、その国の労働市場が、すべてうまく回っているわけではない。人が動くかどうかは、賃金や解雇のしやすさや文化など、数えきれない別の条件に左右される。だから海外と日本を、数字の大小で単純に比べることはしない。見ておきたいのはただ一点――力を測る共通の言葉を社会の公共財として整える、という発想が現に存在し、現に機能してきた、ということだ。それは、つくれないものではない。

4日本でも、物差しづくりは始まっている

では、日本にこうした物差しは、ないのか。

ないわけではない。むしろ、ここ数年で物差しづくりは、はっきりと動きはじめている。

国は、職業の情報を共通の項目で記述して、誰でも使えるかたちで公開する仕組みを整えてきた6。さまざまな職業について、仕事の内容や、必要とされる知識・技能・能力を横断して調べられる。海外のデータベースを参考にした日本版の物差しづくりであり、自分の経験がどの職業のどんな要件に当たるのかを照らし合わせる手がかりになる。

制度の側でも動きがある。2024年、国は複数の省庁の連名で、仕事の中身を明確に定義したうえで人を当てはめる、いわゆるジョブ型の人事のあり方について指針を示した7。それぞれの仕事にどんな役割とどんな要件が必要かを、あらかじめ言葉で定義しておく――という考え方が、政策の課題として正面から取り上げられた。仕事を人に紐づけるのではなく、中身で定義する。この発想は、力を共通の言葉で測るという今回の話と、地続きである。

学び直しへの支援も厚くなっている。第6回でも触れたとおり、国は個人の学び直しに五年で一兆円を投じると表明し、一定の訓練を修了した人への給付を拡充した8。ただし、これは物差しづくりとは別の課題である。学び直しの支援は、これから新しい力を身につけるための後押しであって、すでに持っている力を外で通じる言葉に翻訳し測る仕組みではない。新しい力を足す道と、既にある力を可視化する道は、どちらも要るが、同じものではない。本回が扱うのは後者である。

潮流はたしかに、物差しのある方向へ動いている。旗は、ここでも立ちはじめている。これは囚われた人にとって、追い風だ。

5だが、「翻訳」と「値づけ」のあいだには、まだ溝がある

ただし、ここで立ち止まっておきたい。物差しづくりが始まっているということと、あなたの力が外で正しく値づけされるということのあいだには、まだいくつもの溝が残っている。

一つめの溝。仕事を中身で定義するという考え方は、まだ十分に根づいていない。先行して取り組んできた企業の事例では、定義した役割と現場の実際の業務とのあいだにずれが生じる、という難所が繰り返し報告されている7。役割に能力が満たないと分かったとき、それを処遇へ反映する仕組みまで備えている企業も、まだ多くないといわれる7。言葉で定義する入口には立ったが、その言葉で人の力を測り、値づけまで結びつける出口は、まだ開ききっていない。

二つめの溝。物差しがあることと、自分の力を物差しに当てて言葉にできることは、別の能力だ。データベースがあっても、自分の二十年の経験をその項目の言葉に翻訳できる人は、多くない。長く一つの組織にいた人ほど、自分の力が組織の文脈と分かちがたく結びついていて、それを切り離して語るのが難しい。辞書はある。けれども、その辞書を引いて、自分という未知の言語を翻訳する作業を独力でやり切るのは、骨が折れる。

三つめの溝。これが最も深い。仮に、あなたが自分の力を共通の言葉にみごとに翻訳できたとする。「事業計画を自力で立てて回せる」「特定の技能を、これこれの水準で持っている」。そう言葉にした。だが――それは、あなたが自分でそう言っているにすぎない。

外の企業が、その申告をそのまま信じるだろうか。

ここに、翻訳のさらに先の問題が顔を出す。翻訳が正しいことを、誰が裏書きするのか。自己申告の言葉は、便利だが、同時にいくらでも盛れる。盛れる言葉は、受け取る側からすれば用心の対象になる。②で見た逆選択の構造が、ここで形を変えてもう一度立ち現れる。申告された力の中身が本当かどうか見えなければ、企業はやはり用心して、低い値しかつけられない。

翻訳は、共通言語の半分でしかない。残りの半分――その翻訳を、当人以外の誰かが裏書きすること――が欠けていると、せっかく翻訳した言葉も宙に浮いたままになる。

共通言語の三つの層 ── 三つそろって、力は外で値づけされる 第三層 裏書きされる 翻訳した言葉を、当人以外が保証するか 欠けると → 盛れる言葉として 用心される(=空白・第9回へ) 第二層 翻訳できる 自分の力を、物差しの言葉に変換できるか 欠けると → 翻訳できず 宙に浮く(独力は難・伴走が要る) 第一層 物差しがある 力を測る共通の項目が、社会に存在するか 欠けると → 照合できない 海外=整備済/日本=整備中 下の層が満たされても、上の層が欠ければ、力は外で値づけされない。本回は第一・第二層を扱い、第三層(裏書き)を次回へ送る。
力が外で値づけされるには、物差しがあること(第一層)、自分の力をその言葉に翻訳できること(第二層)、翻訳を当人以外が裏書きすること(第三層)――この三つがそろう必要がある。日本は第一層の整備が始まり、第二層には伴走が要る。

6翻訳を、誰が支えるか ── そして、裏書きへ

あなたの力が外で値づけされない、その根には、物差しの不在があった。物差しはつくれないものではなく、日本でも整備は始まっている。だが、物差しがあることと、自分の力をそれに当てて翻訳できることと、その翻訳が裏書きされること――この三つのあいだには、まだ溝が残っていた。

だとすれば、囚われた人の力を外で通じる言葉に変えるために要るものも、見えてくる。

一つは、翻訳を独力に任せきりにしないことだ。そこには、伴走する仕組みが要る。本人の経験を聞き取り、それを外で通じる物差しの言葉へと一緒に置き換えていく。自分では汎用的な管理経験としか言えなかったものが、聞き取りを通じていくつもの具体的な力に分解され、それぞれが共通の言葉に対応づけられていく。翻訳は、独力の作業ではなく、支えられた作業になる。

もう一つ――そして、これが次回への入口になる――翻訳された言葉を、当人以外の誰かが裏書きすることだ。

裏書きのやり方そのものは、一つではない。以前の上司や同僚が推薦する。資格や実技試験で測る。実際につくったものを見せる。仕事を発注した顧客が評価を残す。どれも現に使われているし、それぞれに効く場面がある。問われているのは、方法の優劣ではなく、その裏書きを誰が出すか、である。

もし、あなたを採用したい企業が、あなたの力を保証するなら、その保証は採用したいという思惑に引っぱられる。あなたに案件を紹介して報酬を得る仲介者が、保証するなら、その保証は第5回で見た報酬の向きに引っぱられる。取引が成立することで利益を得る主体が、同時に、力を評価する主体でもあるとき、評価は取引の側へ傾く。

だとすれば、設計の原則は一つに絞られる。取引の成立で利益を得る主体と、力を評価する主体を切り離すことだ。推薦も、試験も、成果物も、顧客評価も、この切り離しができていれば信じられるし、できていなければ割り引かれる。報酬が取引の成立にも紹介の手数料にも向かわず、申告された力が本物であることを確かめること自体に向く――そういう立場の者が裏書きしたとき、その言葉は、はじめて、外で信じられる重みを持つ。

これが、第6回で予告した「三つの受け皿」の二つめだった。長く一つの組織で培った力が、外でも通じる言葉に翻訳され、値づけされること。

共通言語を、出口に変える 囚われ 力が何語で値づけ されるか不明(第2回) 物差し 力を測る共通の言語 海外=済/日本=中 翻訳 自分の力を、その言葉へ 独力でなく伴走で 裏書き 評価を取引から切り離す (第9回・安心の輪) 選択肢 復職・転職 フリーランス 本回(第8回)が扱う範囲:物差しと翻訳 裏書きされない言葉は、宙に浮いたままになる ※中立な第三者が、報酬の向きをどう設計して中立を保つか――その具体は、連載最終回の解で論じる。
囚われから選択肢へ。力を測る物差しを整え、自分の力をその言葉へ翻訳し、その翻訳を、取引で利益を得ない立場の者が裏書きする。三つがつながって、はじめて、外で値づけされた力が、復職・転職・フリーランスの選択肢になる。

次回は、最後の溝に正面から向き合う。翻訳した力を、中立な第三者が確かめ、その確認を、副業先でも本業先でも、同じように信じてもらえるようにする。スキルが、自己申告を超えて検証され、信頼される――その仕組みを、安心の輪と呼んでみたい。

参考文献・出典

全主張に一次資料・学術/業界調査を付す。=一次・公式統計/=報道・業界調査・自社公表/=独立検証不可。海外(米O*NET・欧ESCO)は「力を公共財として整える発想」の対比として引き、国内数値との単純比較はしない。固有名は本文に出さず、出典帰属としてのみ記す。

本ミニリサーチは連載「手放さずに、増やす」の第8回(第III部・解編・スキルの共通言語)。第6回⑥で予告した「三つの受け皿」の二つめ=外で通じる言葉への翻訳と値づけを担う。前回=第7回「副業ファースト(転職でなく副業で外を試す)」。次回=第9回「安心の輪=サーティフィケート(スキルが検証され信頼される=証明の仕組み)」。中立な第三者の清算設計は連載最終回(第10回)の解で論じる。 資料一覧へ →