連載「手放さずに、増やす ── 人生100年時代、大企業人材の選択肢」最終回。世界の金融市場で日々取り交わされるデリバティブ取引は、その規模、想定元本にして700兆ドルを超える。顔の見えない相手と、これほど巨大な取引を、安心して結べるのはなぜか。あいだに中立の第三者が立ち、取引を確かに成立させ、市場の秩序を支えているからだ。それが、中央清算——半世紀かけて磨かれた、信頼の仕組みである。本稿は、この、世界の金融システムを安全に支えてきた仕組みを、人と仕事をつなぐ世界——人的資本のマッチング——に応用できないか、と問う。これまで「当事者でない、中立な第三者」とだけ言って伏せてきた一点に、ここで答える。金融から、何を借り、何を借りないのか。その線を引きながら、囚われを解く解として、中立清算を組み立てる。
前回、副業を本当に動かすのは、副業を「してよい」という許しではなく、その人が外で何をどれだけできるかを、本業の側にも副業の側にも、同じように見える形で示す証明だ、という話をした。証明が、副業先と本業先の双方で確かめられること——どちらの勤め先に対しても、嘘のない一つの像が立つこと。それを、安心の輪と呼んだ。
だが、証明は、入口にすぎない。証明された人が、実際にどこかの企業と、副業の取引を結ぶ。報酬を決め、働く時間を決め、仕事の範囲を決める。その取引が、後から条件を書き換えられず、報酬が約束どおり支払われ、二つの仕事の時間が双方から正しく見え、いざこざが起きたときにどちらにも与しない立場で収められる——証明という入口の先にある、この取引そのものを、誰が、どうやって、中立に成り立たせるのか。
ここまでの九回で、私たちは、囚われの構造と、その囚われを解くいくつもの部品を見てきた。後払いで報われるはずの賃金が、最高値の時期に崖を迎えること。自分の市場価値が、自分には見えないこと。派遣という仕組みの内側で、当事者でない者だけが両側の情報を握っていること。紹介・マッチング・スカウトといった仲介のモデルが、それぞれの報酬の向きゆえに、利用する人の最善だけを向ききれないこと。政府が副業の旗を立てても、渡るための橋がないこと。そして、スキルの共通言語と、安心の輪という証明。
これらの部品は、ばらばらに置かれていたわけではない。すべてが、ある一点を指していた。途中の回で、私は何度か、「当事者でない、中立な第三者」という言葉を使い、その具体的な仕組みは、連載の最後で論じる、と書いた。第4回では、派遣の差額を検証する三つの層を、当事者でない第三者が担うなら構造の手触りは変わる、と述べて、その立ち位置をどう成り立たせるかは最終回へ送った。第5回では、報酬の向きが、場が公正に保たれること自体に向くなら、あいだに立つ者の向きは利用する人の最善と揃う、と書いて、それを誰が引き受けるのかは宙に浮かせた。第6回では、旗は立ったが橋がない、と書いて、その橋を架ける中立の足場を、解として予告した。
最終回の今回は、その宙吊りにしてきた一点に、答える。当事者でない中立な第三者とは、いったい何をする者なのか。なぜ、当事者でないことが、囚われを解く鍵になるのか。そして、その立ち位置を、私はあえて、金融の世界で半世紀にわたって磨かれてきた、ある仕組みの言葉を借りて説明したい。中立清算、という言葉である。ただし、借りるのは言葉の一部であって、丸ごとではない。どこまでが対応し、どこからが対応しないのか。その線引きを、慎重に引くところから始める。
中立清算が何かを語る前に、それが解こうとしている病を、もう一度、一つの言葉でまとめておきたい。胴元、である。
第II部で、私たちは、あなたと仕事のあいだに立つ仲介を、いくつも解剖した。形は違っても、その構造的な弱点は、驚くほど一つの根に収斂していた。あいだに立つ者が、当事者になる、という根である。
派遣会社は、あなたを雇う雇用主でありながら、あなたを送り出す仲介者でもある。二つの顔が一人に同居することで、両側の値段を一手に握る。紹介のエージェントは、採用が成立したときにのみ報酬を受け取るから、関心は、あなたの最善ではなく、取引の成立そのものへ傾く。案件が並ぶ場の運営者は、取引の額から手数料を引くから、取引の量を歓迎しつつ、一つひとつの単価が競争で削られていくのを、止める動機を持たない。住まいの保証も、身元の保証も、採用前の調査も、その多くが、依頼してくる側——管理会社や、採用する企業——に経済的に依存しているか、自らが評価情報を独占するかして、弱い側に信頼のコストを転嫁する1。
これらに共通するのは、中立であるべき信頼の補完者が、いつのまにか、どちらか一方の当事者の代理人に成り下がっている、という構造だ。あいだに立つ者が当事者になると、二つのことが起きる。一つは、報酬の向きが、利用する人の最善からずれる。前回までに見た、あの向きである。もう一つは、情報が、当事者になった者の手に独占される。求職者が預けた経歴も、希望も、行動の記録も、当事者の側を向いた者が握れば、当事者の都合に使われうる2。報酬と情報は、あいだに立つ者が当事者化したときに握る、同じ一つの構造の、二つの面なのだ。
そして、これがこの連載が見つめてきた人たち——長く一つの組織でキャリアを積み、役職定年や転籍を機に外を見はじめた大企業の高度人材や、いまの仕事を続けながら、自分の力を外の環境でも試してみたいと考える高度人材——にとって、なぜ致命的なのか。それは、この人たちが、外の労働市場の作法に、最も不慣れだからだ。胴元の報酬の向きにも、情報の独占にも、気づきにくい。気づかないまま、決まりやすい求人を勧められ、急かされ、自分の値段を最後まで知らされないまま、よくわからない子会社への転籍を、受け入れるしかないと思い込む。囚われは、外側の鎖でできているのではない。あいだに立つ者だけが両側を見渡し、当事者どうしは互いを直接には見られない、という情報の非対称が、囚われの正体だった。
だとすれば、解くべき一点も、はっきりしている。あいだに立つ者を、当事者でなくすことだ。報酬の向きを取引から切り離し、情報を独占させず、どちらの側にも与しない立場で、取引の条件だけを、確かに、透明に、確定する。胴元にならずに、あいだに立つ。それが、中立清算という言葉で私が呼ぼうとしているものの、核心である。
「当事者でない第三者が、あいだに立って、取引を確定する」——この言い方は、抽象的に過ぎる。それが現実にどう機能しうるのかを、私は、自分が長く身を置いてきた金融の世界の、ある具体的な仕組みに照らして説明したい。中央清算機関、英語で Central Counterparty、略して CCP と呼ばれるものだ。
金融の取引——たとえば、ある金利が将来どう動くかをめぐって、二者が結ぶ約束(デリバティブ取引)——を考えてみる。約束を結んだ二者は、その約束が満期を迎えるまで、相手が約束を守れるかどうかという不安を、抱え続けることになる。相手の会社が、その間に経営難に陥ったら。約束を果たせなくなったら。この、相手が約束を破るかもしれないという不安を、専門の言葉で、カウンターパーティ・リスク——取引相手方リスク——と呼ぶ。
CCP は、この不安を、構造そのものを組み替えることで断ち切る仕組みだ。二者が約束を結ぶと、CCP が、そのあいだに割って入る。もともと A と B のあいだにあった一本の約束を、いったん消し、A と CCP のあいだの約束、CCP と B のあいだの約束、という二本の新しい約束に置き換える。法律の言葉で、これを更改(novation)という。この置き換えによって、CCP は、すべての売り手に対する買い手であり、すべての買い手に対する売り手になる3。A はもう、B が約束を守れるかを心配しなくてよい。A が向き合う相手は、いまや CCP だからだ。
ここで決定的なのは、CCP が、どちらの側にも与しない、という一点だ。CCP は、A の味方でも、B の味方でもない。すべての参加者に対して、同じ距離で、同じ立場に立つ。買い手の利益も、売り手の利益も代弁しない。CCP の関心は、ただ一つ——市場という場が、誰かの破綻によって連鎖的に壊れないこと、その一点に向いている。だからこそ、CCP は、参加者全員から信頼される。当事者でないことが、ここでは弱さではなく、市場全体を支える強さになる。
この中立性を、CCP は、いくつかの道具で裏打ちする。一つは、取引が成立する前に、あらかじめ担保を差し入れさせる仕組みだ。専門の言葉で、当初証拠金(Initial Margin)という。これは、万が一、ある参加者が約束を破ったときに生じる損失を、事前に——事が起きる前に——切り離しておくための備えである4。取引の後始末で慌てるのではなく、取引の前に、リスクを見える形にして、隔離しておく。事後ではなく、事前に。この「事前に切り離す」という思想が、のちほど、労働の世界へ言葉を借りるときの、一つの鍵になる。
CCP は、思いつきの仕組みではない。2008年の世界金融危機のあと、2009年、主要国の首脳が集まった G20 ピッツバーグ・サミットで、一定のデリバティブ取引を中央清算機関で清算することが、国際的な約束として合意された。日本の当時の首相も、その場にいた。この合意を受けて、各国は、取引相手方リスクが連鎖して金融システム全体を揺るがした反省から、清算の義務づけを、それぞれの国の法律に書き込んでいった。アメリカのドッド・フランク法、欧州の規制、そして日本では、金融商品取引法が、その代表だ。日本にとって、これは決して遠い世界の話ではない。中立な第三者が、取引のあいだに立ち、条件を確定し、リスクを事前に切り離す——この仕組みは、いまや、日本を含む世界の金融市場の土台になっている。半世紀近い実務の蓄積が、その背後にある。
ここで、はっきりさせておきたいことがある。CCP という金融の仕組みを、丸ごと労働の世界へ持ち込もうというのではない。そこから、労働の世界で役に立つ部分だけを、選んで借りる。問題は、何を借りて、何を借りないのか、である。借りるものと借りないものを取り違えれば、まったく違う二つのものを、同じ言葉で語ることになる。だから、対応する部分と、対応しない部分を、はじめに分けておく。
まず、借りるもの。第一に、中央に立つ中立性、という構えだ。どちらの当事者の代理人にもならず、すべての参加者に同じ距離で立つ。立ち位置そのものを、どちらか一方ではなく、双方への中立性に向ける。第5回の最後に書いた、あの「向き」を、構造として実装する。第二に、条件の確定、という機能だ。取引の条件——報酬、時間、業務の範囲——を、あいだに立つ中立な立場が、後出しを許さない形で確定し、記録する。第三に、事前に、という思想だ。問題が起きてから慌てて対処するのではなく、取引が始まる前に、信頼関係の土台を、見える形にしておく。CCP が金融で、事が起きる前にリスクを見える形にしたように、労働の世界では、それを、事前の条件の明示と、証明という形で行う。
次に、借りないもの。ここが、最も大事だ。CCP の中核には、更改(novation)という法的な置き換えがある。CCP は、自ら取引の当事者になり、すべての売り手の買い手、すべての買い手の売り手になる。だが、労働の中立清算は、これをしない。働く個人と、雇う企業の、そのあいだに立つ第三者は、自ら雇用の当事者になったり、報酬の支払い義務を自分が引き受けたりは、しない。日本の法律は、人を雇って別の場所で働かせる「労働者供給」を、原則として厳しく禁じている5。あいだに立つ者が、自ら供給の当事者になることは、できない。だから、労働の中立清算は、更改という置き換えを、借りない6。
そして、最も重要な、借りないもの。CCP は、参加者が破綻したときの損失を、最終的には自分が引き受け、参加者全体で分担する仕組み(共同基金)を持つ。CCP は、信用リスクそのものを、自らの勘定で背負う。だが、労働の中立清算は、これをしない。働く人の報酬の不払いを、第三者が肩代わりして保証するのではない。納品の品質を、第三者が保証するのでもない。労働の中立清算が引き受けるのは、信用リスクではなく、情報と条件の非対称を、対称に開くこと——ただ、それだけだ。
この区別は、決定的だ。金融の CCP は、リスクの引受機関である。労働の中立清算は、リスクの引受機関ではない。それは、情報と条件の、対称化の機関である。同じ「中立に、あいだに立つ」という構えを共有しながら、引き受けるものが、根本から違う。CCP は、相手が約束を破るリスクを、自分が背負うことで、市場を支える。労働の中立清算は、両者が互いを見られないという見えなさを、見えるようにすることで、市場を支える。借りるのは、中立に立つという「構え」であって、リスクを背負うという「中身」ではない。金融の仕組みのうち、労働の世界で役に立つのは、この「構え」の部分だけだ。そこを、選んで借りる。
借りるものと借りないものの線が引けたところで、では、労働の中立清算は、具体的に何を立てるのか。第4回で、派遣の構造を解剖した最後に、私は、当事者でない中立な第三者が立てる三つの層を予告した。検証する層、価格を見えるようにする層、記録し照合する層。あのとき宙吊りにした三つの層を、ここで、連載全体の解として、組み直す。
一つめは、条件を確定し、透明にする層だ。取引が始まる前に、報酬、時間、業務の範囲という条件を、どちらの当事者でもない立場が、共通の様式で確定し、記録する。後から条件を書き換えること——前回までに何度か顔を出した、条件の後出し——を、構造として封じる。2024年に施行されたフリーランスを保護する法律は、発注する側に、取引条件を書面で明示する義務と、報酬を期日までに支払う義務を課した7。中立清算は、この法律が企業に求めたことを、あいだに立つ中立な立場が、確実に履行される形で支える。法律が「明示せよ」と命じたものを、中立の第三者が、確かに明示され、確かに守られるところまで、見届ける。これは、報酬の支払いを第三者が保証することとは、違う。条件が偽りなく確定され、約束どおりに実行されることを、見える形にするだけだ。引き受けるのは、信用リスクではなく、条件の透明性である。
二つめは、価格を見えるようにする層だ。同じスキル、同じ地域、同じ職種で、いま市場でいくらの値段がついているのか。その分布が、当事者でない立場から見えれば、長く一つの組織にいた人は、はじめて「自分の値段」のあたりをつけられる。第2回でいちばん奥に見た、自分の市場価値が自分には見えないという壁に、一か所、穴が空く。この層は、第8回で見たスキルの共通言語と、直結している。スキルが共通の言葉に翻訳されてはじめて、価格は、比べられる形になるからだ。
三つめは、証明を記録し、照合する層だ。第9回で見た安心の輪——その人が外で何をできるかが、本業先にも副業先にも、同じ像として見えること——を、当事者でない立場が、記録し、必要なときに照合する。この記録は、一度きりの取引で終わらない。複数の副業を跨いで、その人の評判として積み重なり、本人が携えて持ち運べる。胴元が情報を独占し、本人に向き直らせる構造とは、正反対だ。情報の持ち主は、あくまで、その人自身である。
この三つの層に共通するのは、すべてを、どちらの当事者でもない第三者が担う、という一点だ。なぜ、当事者でない者でなければならないのか。派遣会社は、自分の差額の不透明さを、自分では問題にできない。それが自分の利益を削るからだ。エージェントは、自分の報酬の向きを、自分では正せない。それが自分の収益を細らせるからだ。当事者は、自分の当事者性が生む歪みを、自分の手では直せない。当事者でない者だけが、その痛みを負わずに、見えない部分に光を当てられる。第4回で書いた、当事者でないことが弱さでなく強さになる、という逆説は、ここで、三つの層を支える原理として、立ち上がる。
三つの層を、当事者でない第三者が担う。ここまではよい。だが、ここで、最も鋭い問いが残る。その第三者自身の報酬は、どこを向くのか。
第5回で、私たちは、すべての仲介のモデルが、その報酬の向きゆえに、利用する人の最善だけを向ききれない、と見た。報酬が取引の成立に向けば、仲介者は成立を急ぐ。取引の額に向けば、単価は競争で削られる。場の維持に向けば、向きは働く人に近づくが、こんどは事業の持続性が揺らぐ。中立な第三者を名乗っても、その報酬が、知らぬ間にどちらかの当事者を向いていれば、中立は、看板倒れに終わる。
だから、中立清算の報酬は、取引の成立からも、取引の額からも、切り離されていなければならない。成立ごとに手数料を取れば、関心は成立へ傾く。取引の額から引けば、関心は取引の量へ傾く。どちらでもない形——たとえば、取引そのものとは独立した、場を維持するための定額の料金を、場を使う企業の側から受け取る形——を採れば、中立な第三者の関心は、個々の取引の成否ではなく、場が公正に保たれること自体へ向く8。第5回で、成立ごとの手数料を取らないモデルが示してみせた、あの「向き」を、中立性を担保する仕組みとして、設計の中心に据える。
ただし、報酬の向きを切り離すだけでは、足りない。第三者の中立性を支えるのは、報酬の構造だけではなく、その第三者が、特定の企業や産業から、資本や人を通じて支配されない、というガバナンスの設計でもある9。金融の CCP が、厳格な規制と、参加者の均等な負担によって中立性を担保しているように、労働の中立清算もまた、誰の代理人でもないことを、組織の構造として証明できなければならない。中立を名乗ることと、中立であることのあいだには、距離がある。その距離を、報酬の向きと、ガバナンスの両輪で、埋める。
ここで、中立清算が現実に成り立つために越えていく条件を、競合する見方とともに、自分で並べておきたい。
第一に、市場が、それを受け入れるか。企業の側は、これまで握ってきた情報の優位を、手放す動機に乏しい。中立な第三者に条件を透明化されることは、強い側にとって、必ずしも歓迎すべきことではない10。中立清算が成り立つには、透明であることが、長い目で見れば双方の取引費用を下げる、という認識が、市場に広がる必要がある。これは、容易ではない。
第二に、法律の位置づけが、定まっていない。あいだに立って取引の条件を設定し、記録し、報酬の清算に関わる立場が、日本の法律のどこに位置づけられるのか——労働者供給の禁止に触れないか、職業紹介の規律に入るのか、まったく新しい類型として整理されるべきなのか——は、まだ確かな答えがない511。指揮命令の関係を一切持たず、雇用の当事者にならない、という設計の線を、慎重に引き続けることが、適法であるための条件になる。
第三に、規模の問題がある。中立な第三者が一つに集まることは、利点であると同時に、危うさでもある。金融の世界では、清算が少数の機関に集中したことが、新たな弱点を生んだ、という指摘がある12。労働の中立清算もまた、一つの場に集中すれば、その場が、新たな単一の急所になりうる。中立であることと、集中しすぎないこと。この二つを、どう両立させるか。設計の段階で、論じておかなければならない。
これらは、中立清算が現実のなかで越えていく条件だ。どれも、机上で答えの出るものではなく、実際に仕組みを動かしながら、一つずつ確かめていくほかない。それでも、囚われの構造——あいだに立つ者が当事者になり、報酬の向きがずれ、情報が独占される、というあの構造——に正面から向き合う、一つの筋の通った道であることは、ここまでの道のりが示してきた。あとは、それが現実に機能するかどうかを、これから、仕組みを動かして確かめていく。判断は、読者に委ねたい。
連載の最後に、全体を、一枚に畳んでおきたい。
第I部で、私たちは、囚われの実像を見た。後払いの賃金が最高値で崖を迎えること。自分の値段が自分に見えないこと。それが、日本型雇用の長い因果連鎖の帰結であること。第II部で、その囚われを支える胴元の構造を、業態ごとに解剖した。派遣の二重性。仲介のモデルごとの報酬の向き。あいだに立つ者が当事者になり、報酬と情報を握る、という共通の根。第III部で、囚われを解く部品を、一つずつ開けた。政府の副業推進という追い風と、その追い風が空回りする理由。転職ではなく副業から始めるという入り方。スキルの共通言語。安心の輪という証明。そして今回、それらすべてを束ねる、中立清算。
これらを貫いていたのは、一つの考えだった。囚われを解くとは、誰かを糾弾することでも、既存の仕組みを壊すことでもない。囚われた人に、選択肢を、取り戻すことだ。役職定年や転籍を機に外を見はじめた大企業の高度人材も、いまの仕事を続けながら自分の力を外で試したいと考える人も、もっと前の段階で、副業という小さな扉から外へ手を伸ばし、自分の力が外でいくらに値づけされるかを知り、その証明を持ち運べるようになる。そうすれば、子会社への転籍を選んでも仕事を続けられるし、自分に合った場所へ移ることもできるし、独立することもできる。どれを選ぶかは、本人が決める。選択肢を持つこと、それ自体が、尊厳である。中立清算は、その選択肢を支える、見えない土台にすぎない。
そして、その土台は、胴元になってはならない。あいだに立つ者が当事者になった瞬間に、報酬の向きはずれ、情報は独占され、囚われは、形を変えて再生産される。だから、囚われを解こうとする者は、自らが当事者にならないことを、何よりもまず、自分に課さなければならない。胴元にならずに、あいだに立つ。手放さずに、増やす——この連載の総題は、囚われた人へ向けた言葉であると同時に、その人を支えようとする側への、戒めでもある。場を所有して儲けるのではなく、場を公正に保つことだけに、報酬を向ける。当事者でないことを、強さに変える。
この連載は、ここで終わる。だが、これは、ある研究の、入口にすぎない。ここまで積み上げてきた十回の部品——囚われの因果連鎖、胴元の解剖、仲介モデルの横断比較、政策の追い風と空回り、副業ファースト、スキルの共通言語、安心の輪、そして中立清算——は、いずれも、一つの研究ペーパー本体を組み上げるための、準備の部品だった。各回で確かめた事実と数値、引いた理論、引いた線は、最後に組み立てられて、日本の労働市場の囚われと、その解としての中立清算を、査読に耐える形で論じる一つの本体になる。マーケティングの言葉ではなく、事実に裏打ちされた研究として。物量で攻めるのではなく、独立に確かめられる証拠で。
囚われた市場を動かすのは、糾弾ではなく、構造の理解と、それに基づく、地に足のついた改善である。中立に、あいだに立ち、見えなかったものを、見えるようにする。
全主張に一次資料・学術/業界調査を付す。確=一次・公式統計・国際基準/中=報道・業界調査・構造的設計論/低=非公開ゆえ独立検証不可。金融CCPの事実は確、労働市場への適用は構造的類比として正直に明示する。固有名は本文に出さず、出典帰属としてのみ記す。